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執筆者の写真Nobukazu Tajika

小林秀雄氏の「ベルグソン論」

更新日:7月19日



◼︎小林秀雄氏

『小林秀雄 学生との対話』より

国民文化研究会・新潮社編

/ 新潮社 写真 : 新潮社写真部

2014年初版発行



 ベルグソン哲学から絶大な影響

 小林秀雄氏の思想


 アンリ・ベルグソン(1859年〜1941年)は、フランスの哲学者です。近年では、ベルクソンの表記もなされていますが、ここでは昔通り、ベルグソンと表記いたします。わが国では、白水社という出版社からベルグソンの全集本が出ています。

 1965年から1966年にかけて全9巻が刊行され、1993年には新版が出版されています。ちなみに、第1巻は『時間と自由 / アリストテレスの場所論』、第2巻は『物質と記憶』、第3巻は『笑い / 持続と同時性』、第4巻は『創造的進化』、第5巻は『精神のエネルギー』、第6巻は『道徳と宗教の二源泉』、第7巻は『思想と動くもの』、第8巻は『小論集1』、第9巻は『小論集2』です。

「直観」「持続」といったベルグソン哲学の基調をなす用語は、とりわけ世界的に有名になりました。ベルグソンの文章は「光線のようだ」とも評されましたが、このことが、ベルグソン哲学のなんたるかを端的に物語っています。

 ベルグソンの哲学は、鋭い直覚と叡智(えいち)に満ち、人類の形而上学(けいじじょうがく)に新しい道を切り拓きました。現代哲学、現代思想に与えた影響は計り知れません。さらには、現代科学にも与えた影響も少なくありません。その業績は、まさに天才の名にふさわしものです。

 わが国では、小林秀雄氏(1902年〜1983年)が最も本質的な意味で、ベルグソン哲学から深刻な影響を受けた人物といえるでしょう。小林秀雄氏は、「近代批評の創始者」といわれる文芸評論家です。思想家でもあります。その思索の範囲は、実に幅広く、文学、哲学、思想、音楽、絵画、そして現代科学など、多岐に及んでいます。

 小林秀雄氏の思索は、鋭く、深く、まさに現代日本を代表する思想家といえましょう。小林秀雄氏の優れた業績については、いうまでもありませんが、その優れた業績の根底にあったのは、ベルグソンからの絶大な影響です。小林秀雄氏が学生時代から愛読していたというベルグソンの著作です。ベルグソン哲学が、小林秀雄氏の思想的な支えだったことは疑いを入れません。

 ベルグソン哲学から最も深刻な影響を受け、優れた業績を残した小林秀雄氏。その小林秀雄氏こそ、ベルグソン哲学の最良の理解者であり、かつ解説者でしょう。そこで、ここでは、小林秀雄氏の言葉を借りて、ベルグソン哲学に踏み入っていきたいと思います。これは、ワクワクするほどの “ 知的冒険の旅 ” といって過言ではないものです。

 ちなみに、小林秀雄氏には「感想」(『小林秀雄全作品』別巻1 別巻2 2005年発行)と表題が付いた長文のベルグソン論があり、単行本化されています。「感想」は、雑誌「新潮」に、昭和33年(1958年)から昭和38年(1963年)まで、計56回、連載されていたものを単行本化したものです。

 単行本を刊行した新潮社の緒言によれば、「著者(注:小林秀雄氏のこと)は、親族ならびに弊社に対し、将来ともに『感想』を上梓すること、全集類に収録すること、そのいずれをも厳禁する旨言明された」、とあります。

 それが、なぜ、単行本化されたのか? 新潮社の緒言によれば理由はこうです。

「著者の没後十数年を経る間に、かつての『新潮』連載稿に拠って、著者を、あるいはベルグソンを論じる傾向が次第に顕著となり、もし現状で先々までも推移すれば、著者の遺志は世に知られぬまま、著者の遺志に反する形で『感想』が繙読される事態は今後ともあり得るとの危惧が浮上した。

 よって、著作権継承者容認のもと、第五次『小林秀雄全集』および本全集『小林秀雄全作品』に別巻を立ててその全文を収録し、巻頭に収録意図を明記して著者の遺志の告知を図ることとした」、とのこと。

 それにしても、なぜ、小林秀雄氏は、「感想」を上梓することや全集に収録することを厳禁とされたのでしょうか? そこは大いなる謎ですが、小林秀雄氏自身は、数学者の岡潔氏との対談「人間の建設」(『新訂 小林秀雄全集』別巻Ⅰ 新潮社 1979年発行)の中で、こう述べておられます。

「私は哲学者の全集を読んだのはベルグソンだけです。あとはなんとかかんとか言っておりますが、拾い読みみたいなものです。」

 と、述べられた上で、岡潔氏の「ベルグソンの本はお書きになりましたか」との問いに対し、こう答えておられます。

「書きましたが、失敗しました。力尽きて、やめてしまった。無学を乗りきることができなかったからです。大体の見当はついたのですが、見当がついただけでは物は書けません。」

 小林秀雄氏は「感想」の中で、ベルグソンの思想を「要約不能な彼の思想」(『小林秀雄全作品』 別巻2 P11)と、述べておられます。

 ベルグソン自身は、『創造的進化』(松浪信三郎・高橋充昭共訳 白水社 1966年第一刷発行)の序論の中で、いみじくもこう述べています。

「いわゆる哲学体系なるものはいずれもひとりの天才の作品であって、ひとまとまりの全体として提示され、それが取り上げられたり捨てられたりしてきたものである」、「哲学は、一般に、一人の哲学者の作品であり、唯一の包括的な全体観である。それは、取るか捨てるかどちらかである。」、と。(『創造的進化』 P11)

 こうした小林秀雄氏の発言、ベルグソン自身の発言からしても、ベルグソン哲学を論じることが、いかに大変だったかということが読み取れます。

 しかしながら、小林秀雄氏にとっては、未完に終わってしまったベルグソン論とはいえ、その鋭い言及には、大いに耳を傾ける意味、意義があります。参考とすべき点が大いにあります。

 したがって、ここでは、ベルグソンについて語られた小林秀雄氏の言説の数々を、「感想」(新潮社)や、講演本『小林秀雄 学生との対話』(国民文化研究会・新潮社編 新潮社 2014年発行)、あるいは、CD化された「小林秀雄講演」(新潮社)の中から、拾い上げてみましょう。皆様の、 “ 知的冒険の旅 ” への縁(よすが)となればと願う次第です。

 なお、読みやすいように、小林秀雄氏の言説については、言説の文章の改行を、ところどころ、私のほうで施(ほどこ)してあります。また、読みやすいように、各言説の冒頭、小見出しを、私のほうで付けました。あらかじめ、お断り申し上げておきます。


「実在」は経験のうちにしか

 与えられていない


「ベルグソンの哲学は、文学的であるとは、誰も言うところであるが、これが通説となり、彼の人気が、その上に立ったと言う事になれば、これはもう彼の『単純な一行為』とは何の関係もない事だろう。『物質と記憶』を熟読するものは少ないであろうが、『創造的進化』なら買ってみる人は多かろう。『創造的進化』は、ベルグソンの著作のうちで一番文学的である、言わば生物学的叙事詩である、そういう殆(ほとん)ど無意味な言葉に、案外人々は乗せられている。

 彼は、たまたま文才のあった哲学者という様な人ではない。生れながらの詩人が文才と衝突するのと全く同じ具合に弁証法の才と衝突した哲学者なのである。詩人の宝は、自ら体験したもの感得したものだけだ。あとのものは、彼の興味を本当には惹(ひ)いていないのだし、信用されてもいない。あとはみんな言葉だ、とさえ彼は敢(あえ)て言うであろう。

 体験したものと感得したものは、言葉では言い難いものだ。という事は、事物を正直に経験するとは、通常の言葉が、これに衝突して死ぬという意識を持つ事に他ならず、だからこそ、詩人は、一ったん言葉を、生ま生ましい経験のうちに解消し、其処から、新たに言葉を発明する事を強いられる。

 ベルグソンが、自ら問うたところは、こういうやり方は、果して詩人の特権であるか、それとも、詩人の特権と見られるほど深く世人の眼に覆われて了(しま)った当たり前な人生の真相なのであるか、という事であった。

 彼は先ず『意識の直接与件論』でこの問題を提出した。誤解を恐れずに言うなら、それは、哲学者は詩人たり得るか、という問題であった。実在は、経験のうちにしか与えられていない。言い代えれば、私達は実在そのものを、直接に切実に経験しているのであって、哲学者の務めも亦、この与えられた唯一の宝を、率直に受容(うけい)れて、これを手離すまいとするところにある、其処からさまよい出れば、空虚と矛盾があるばかりだ。

 実在が考えられる以上、実在しないものも考えられるとか、あるものが実在する以上、その実在を可能にするものが先ずなくてはならぬとか、そもそも人知は実在そのものに達し得るかとか、そういう種類の根も葉もない、又その故に解決の見込みのない問題の群れに出会うだけである。

 其処から、というのはつまり経験という人間の内的領域の中心から、ベルグソンは、有名な或(あるい)は有名になり過ぎた『持続』(durée)という言葉を拾い上げた。何故有名になり過ぎたかと言うと、解説によってベルグソンに近附こうとした人達によって、この言葉が、ベルグソン哲学の中心観念と安易に思い込まれたが為だ。

 これは単なる観念ではない。彼が直接に見た実在の相なのである。問題を見たがままに提出しようとする彼のその手つきなのである。彼も亦詩人の様に、先ず充溢(じゅういつ)する発見があったからこそ、仕事を始める事が出来た。

 彼にとって考えるとは、既知のものの編成変えでは無論なかったが、目的地に向っての計画的な接近でもなかった。先ず時間というものの正体の発見が、彼を驚かせ、何故こんな発見をする始末になったかを自ら問う事が彼には、一見奇妙に見えて、実は最も正しい考える道と思えたのである。

 これは根柢(こんてい)に於いて、詩人と共通するやり方である。最初にあったのは感動であって、言葉ではない。ただ、感動は極度に抑制されただけである。」(『小林秀雄全作品』 別巻1「感想」 P21〜23)


 人間に流れる「真の時間」

 ベルグソンの輝かしい発見


 小林秀雄氏の文中にある「時間というものの正体の発見」という言葉は、ベルグソン哲学の中核にある「真の時間」のことを意味します。

 科学では、時間は t で表せられます。無機質で等質な、数学的時間であり、反転可能な時間です。例えば、A点からB点まで移動するのに1時間かかったとします。1時間経過したと、科学は告げます。しかし、それは、A点、B点という「点」があくまであると仮定した上での話です。

 現実には、つまり、私たちの日常生活では、そんな「点」は存在しません。「瞬間」といっても、厳密には、そこには絶えず時間が流れているわけで、時間が静止した、数学的な「点」があるわけではありません。

 生物である私たち人間にとっての時間とは、あくまで生きられる時間のことです。時間は過去から未来へと、絶えず一方向に流れていきます。科学の時間のようには、けっして反転しません。時間は、絶えず過去から未来へと流れ続けます。時間の流れに、絶え間はありません。時間に、「瞬間」という、数学的な「点」はありません。

 この、いわれてみれば、当たり前の常識的な事実。しかし、当たり前過ぎて、普段、私たちが気づかず、見逃している事実です。だからこそ、その事実、経験的事実に、ベルグソンは着目したのです。経験的事実を「発見」したのです。生物である私たち人間を流れる「真の時間」を発見したのです。

 これが、小林秀雄氏が文中で指摘している、言葉にならない、ベルグソンの「感動」なのです。とはいえ、著作に表れているベルグソンの筆致は、あくまで明晰(めいせき)であり、冷静そのものです。そのことを、小林秀雄氏は「感動は極度に抑制された」と述べられたのです。

 ベルグソン自身の言葉を引用しましょう。『創造的進化」(松浪信三郎・高橋充昭共訳 白水社)の中からの引用です。

「事実、事物に対するわれわれの信念や、科学が孤立させるもろもろの系に関するわれわれの操作は、すべて、時間はそれら事物や系を侵蝕しないという観念にもとづいている。(中略)。すなわち科学が或る物質的対象もしくは孤立した系に付与する抽象的な時間 t は、結局、或る一定数の同時性、あるいはもっと一般的にいえば、或る一定数の対応関係から成るものにほかならず、しかも、それらの対応関係を相互に分けへだてる間隔がどんな性質をもつかにかかわりなく、この数はつねに一定である。(中略)。

 t という数はつねに同じものを意味するであろう。いまや《時間の流れ》は、すっかり引かれてしまった一本の線になり、もろもろの事物もしくは系の諸状態と、この線上のもろもろの点とのあいだの、同数の対応関係が t であるということになるであろう。」(『創造的進化」 P26~27)

 そして、このあと、『創造的進化』の中の、有名なフレーズが出てきます。

「一杯の砂糖水をこしらえようと思うならば、私はとにもかくにも、砂糖が溶けるのを待たなければならない。この小さな事実の教えるところは大きい。なぜなら、私が待たなければならない時間は、もはやこの数学的な時間ではないからである。(中略)。

 それはもはや思考される時間ではなく、生きられる時間である。それはもはや一つの関係ではなく、絶対的なものである。」(『創造的進化」 P27)

 さらにベルグソンは、『創造的進化』の中で、こう述べます。

「宇宙は持続する。時間の本性を深く究明していくにつれて、持続とは、発明を、形態の創造を、絶対に新しいもののたえざる仕上げを意味することが、ますますはっきりとわかってくる。科学によって局限された系が持続するのは、その系が宇宙の他の部分と分かちがたく結ばれているからにほかならない」(『創造的進化」 P29)


「科学の時間 」と「真の時間」

 決定的な違い


 小林秀雄氏のベルグソン論「感想」に話を戻しましょう。小林秀雄氏は、この砂糖水についてのベルグソンの有名なフレーズに言及し、こう述べておられます。

「『砂糖水を作りたいと思ったとする。その場合、私が何をしようと、砂糖が水に溶けるまで待たねばならぬ。このささやかな事実が、大きな教訓だ』。これは、『創造的進化』の書き出しにある有名な比喩である。

 彼の砂糖は、ニュートンのリンゴであって、ともに問題の発明である事は、言う迄もない。二人の注意力の方向は、全く相反していた。ニュートンも、リンゴが地面に落ちるまで待たねばならなかった筈だが、待つという漠然たる感情は、問題にはならなかった。

 何故かと言うと、待つという人間の内的な継続的な状態は、枝を離れたリンゴが、地面に達するまでに通過しなければならない一直線上の諸点に、厳密に対応しているが、人はこれらを数え上げる事によって、この事実を厳密に認識しないだけだ。

 従ってこの一種の怠慢は、待つという言葉で現される。もう少しはっきりした頭を持ち給え。そうすれば、待つとは感情であるというより、事実の錯覚である事が判明するだろう。手短に言えば、君は待たなくなるであろう。実際、ニュートンは待たなかったから、リンゴが落ちたのを見て、では何故月は落ちて来ないのか、と問題を発展させる事が出来た。

 ベルグソンの注意力は、逆に、待つという事実から、砂糖の溶解過程へ向う。待つとは時間が経つ事だ、という考えから出発すると、砂糖の溶解過程では、時間が少しも経っていない事を発見する。何故か。意識を欠いた砂糖には待つ事が出来ないからではない。砂糖の溶解過程という現象の認知、そういう相継(あいつ)いで起る諸状態の確認というその事が、待つ時間を、分割可能な時間に変えるからである。

 ニュートンの言う時間 t とは、一定数の同時性、或いは一定数の対(correspondances)以外のものを意味してはならず、而(しか)も、一つの対応ともう一つの対応とをへだてる間隔の性質は、不問に附さねばならぬ。つまり、この間隙の性質如何(いかん)にかかわらず、一定数は常に一定数出なければならぬ。

 ところが、私達は、この間隙に身を横たえていればこそ待つのだ。待つ身は長いのである。だが、この時間についての常識の表現は二重の錯誤を含む。一つは言う迄もなく、世界中の時計のゼンマイがゆるんだと、彼が錯覚している事だが、もう一つの錯誤は、空間とは似ても似つかぬ持続を経験しているので、長さを経験しているのではないのに、彼が、長いと言っている事だ。だが、時間を空間のうちに、並列させて考えるという傾向は、日常行為の有効性の為には必須の条件であるから、この錯誤は、容易には気附かれぬ様に深く隠れているだけだ。

 だが、時間に関する尋常な人間経験の二つの面が、此処(ここ)に現れているとはっきり考えれば、これを二つの錯誤と呼ぶのも拙(まず)いであろう。現に科学は、後の方の傾向を誤認とは認めず、これを精化する道を進んで誤らない。それなら、前の方の傾向を錯誤と認めず、これを精化する道も可能なわけである。

 成る程、ベルグソンは、科学者とは反対な道を行ったのだが、対象に直面していてでなければ、決して理論を発展させない、という誓言(せいごん)は、いつも守られているのであって、その事が大事だ。後世は、彼の仕事を、生の哲学などとのん気に呼んでいるが、彼にしてみれば、新しく手をつけた意識の学が、哲学になるか科学になるか知らなかったのである。

 これを定めるものは、究めて行かねばならぬ眼前の対象の性質如何にあるので、彼自身の選択力にあるのではない。対象さえ、彼が選んだものではない。『意識の直接与件』は邪魔物として、行手に現れたのである。彼が選ばなければならなかったのは、邪魔物を乗越える

か、それとも哲学を捨てるか、どちらかを選ばなければならなかったという事だけだ。

 彼の仕事が成功するにつれて、彼が生涯手離さなかった、この彼の仕事の動機が忘れられ、恐らくこの忘失を最大の原因とする世人の誤解が生れてきた。」(『小林秀雄全作品』 別巻1「感想」 P40〜42)



◼︎小林秀雄氏

CD 小林秀雄講演 第八巻 より

「宣長の学問 / 勾玉のかたち」

/ 新潮社 写真:新潮社写真部



「直観」とは

 精神が精神を見る働きである


「 極度の抑制とは、私の勝手な推測ではない。『意識の直接与件論』は平静であって、作者の感動の片鱗(へんりん)さえうかがえのであるが、作者は、三十余年の後、当時を回想して、彼が『持続』と呼んだ内的体験が、哲学の真の方法の開眼をもたらした事を書き、『それは、私が、言葉による解決を投げ棄てた日であった』と附言している。私は、彼の言葉を文字通り信じたいのだが、言葉は、彼の忘れ難い経験のうちで一ったん死んだのである。

 だが、無論、言葉がなくては哲学はない。而(しか)も詩人と異なって、悟性の通路から這入(はい)って行く言葉に頼らなければ、哲学的表現はない。ベルグソンの仕事は、この困難な、ありのままの事実を正視する事から始まった。

 もう一つベルグソンの哲学で有名な『直観』(intuition)という言葉があるが、この言葉にしても、今言った困難な事実の正視から直接に生れたものであって、もしそう理解されれば、ベルグソンの直観主義だとか反知性主義だとかいうたわ言は、すべて沈黙した筈なのである。彼は終始一貫、男らしい、厳密な思想家であって、この重要なモチフから、どんな感情的な或いは本能的な表現も導き出してはいない。

『直観』という言葉は、曖昧(あいまい)で、はっきり定義されていない様に見える。だが、これは言葉による言葉の定義の明瞭は、経験上の現実の明瞭と交換出来ないという理由に基くだけだ。

『直観』という彼の哲学の基本的な一表現が、言わば既に窮余の一策だったのである。直観とは、彼に言わせれば、精神が精神を見る働き、精神の精神による直接な視覚(vision)だ。内的生活の不可分な、実体的な持続の直接な意識なのである。」(『 小林秀雄全作品』 別巻1 「感想」 P23)


 悟性を逆向きに使用する


「悟性の原理は、先ず何を置いても、行動の原理であって、それは感覚の延長の上にあり、物質の構造を型どって進む。悟性の練磨に基く科学が、悟性の働きを物質の構造と厳密に一致させる様に進歩するのは当然の事であり、又、その価値が、私達の行為の有効性で測られる他はないのも当然である。

 哲学は、科学によって残された実在の領域を取上げるだけだ。つまり精神が取上げられのだが、取上げた時に、この世界は既に悟性の侵入を充分に受けていた。悟性は慣れない対象を扱って、精神を物質化していた。これはいかにも真実らしい外観を見せていたが、実は空疎な言葉の群れに過ぎなかった。

 何故かというと、この世界では、悟性は、対象とする精神の構造を型どる様には、進めなかったからである。進めば進む程、言葉だけが殖(ふ)える。これを排除するには、逆に歩かなばならない。言わば、悟性を逆の向きに使用しなければならない。それが、ベルグソンの直観である。彼は、自己が自己に衝突するのに驚き、驚くことがそのまま考える事である様な、そういう考え方を、哲学の方法としたかったのである。」(『 小林秀雄全作品』 別巻1「感想」 P27 )


「直観」とは哲学者に要求される

 視覚(ウ"ィジョン)である


「ベルグソンは、哲学の方法として、直観という言葉を使うのに長い間ためらったと言っている(Introduction Ⅱ)。それと言うのも、新しい発明はしたが、これを語るのに、新しい言葉を一緒に発明するわけにはいかず、取上げてみた直観という古い言葉は、既に充分に哲学者達の手垢(てあか)で汚れていると見たからである。

 概念的な思考が、精神の奥までとどかぬ事に気附いていた哲学者は多かったが、世界を統一的に理解しようとする哲学者達の好みは、いかにも根強いものであり、悟性の能力を超えた直観の能力に赴きながら、折角(せっかく)の能力を、悟性の提供する様々な概念を綜合する、一段高級な概念と化する。直観を直観たらしめているものが、直観から除かれて、あらゆる事物が演繹(えんえき)的に説明出来る統一原理として鎮座する様になる。

 これが、実体と呼ばれようが理念と呼ばれようが。或(歩い)は自我、或は意志と名附けられようが、それは思索家達の趣味の問題を出ず、彼等は、直観という利器を携えて、一様に汎神(はんしん)論への道を進む。ベルグソンがはっきりと拒絶したのは、そういう傾向であった。

 砂糖が溶けるまで待つというささやかな経験的事実の徹底的分析だけでは、何故足りないのだろうか。水が在り、砂糖があり、砂糖が溶けるという事実があると私は知覚するが、それを待つという事実を知覚すると言っては拙(まず)いであろう。これに応ずる能力は性質が明らかに異っているから、待つと直覚すると言った方がよい。

 この二つの事実と、これに応ずる二つの能力以外に、事の真相はある筈(はず)はなく、これらの異質な性質が、同時に私の経験に与えられている限り、事の真相は、私の経験のうちにしか与えられていない。

 それなら、私は、私のそういう経験自体にどう応ずるか、これを、知覚するのか、直覚するのか。言うまでもない事だ。それは、私が生きているという意識に他ならず、言葉を代えれば、それは、私はもはや砂糖の溶けるのを待ってはいないが、何物かを待っている、或は恐らく何物かが私を待たせているという反省に他なるまい。

 日常経験のうちに萌(きざ)した直覚能力は、ここで、そのまま緊張して、哲学的直観とも呼ぶべきものに発達するであろう。だから、ベルグソンは、直観という言葉を、いろいろな意味に使うであろうが、持続のうちで考えるという事を、その基本的な意味としたい、と言う。彼の言う直観とは、認識の一種というよりむしろ、前に引用した『ラウ"ェソン論』の中にもある様に、哲学者に要求された視覚(ウ"ィジョン)の一種なのである。

 哲学者には、どういう意味でも、この視覚(ウ"ィジョン)を神化する理由はない。日常の直覚が哲学的直観に育つにせよ、出発点の経験に戻れないほど育ったら何になろう。誘惑は、哲学的直観が、経験つまり意識のうちに何処(どこ)までも深く這入(はい)り込めると妄想するところから来る、とベルグソンは考える(L’intuition philosophique)。

 経験の二面性は、何処までも附きまとう。意識への直接的な反省が、自己への直観が、物質の内部へ、生命の内部へ、要するに実在全体の内部へ、楽々と限りなく侵入出来るとしよう。それには先ず意識は物質の随伴現象に過ぎない、物資に加えられた随伴物(アクシダン)に過ぎないと考えられねばならないが、そういう仮説が、事実に反する事は、『物質と記憶』で、充分に証明した、とベルグソンは言う。」(『感想』 小林秀雄全作品 別巻1 『感想』 P46〜48)


 芸術が援用されるベルグソン哲学


「例えば、『真の哲学者の眼から見れば、古代の大理石像の熟視のなかに、哲学論文全体に散らばっている真理より、一層多くの集中された真理が迸(ほとばし)るであろう』。そういうベルグソンの言葉にしても、決して単なる比喩ではない。彼の哲学の働きを直接に指すのである。

 彼の考えによれば、凡そ物を言う正しい術(すべ)とは、現実の物を直視する術以外の何物でもないのであって、場合に応じて、指す物が正しく選ばれていれば足りるのだ。(中略)。ベルグソンの文章でも、同じ事が起る。それは読者の熟視を要求し、ばらまかれた言葉は、紙背(しはい)に潜在する一中心に収斂されるのを待っている。

 音符の意味を限定するのは、旋律であって、その逆ではない様に、直観という単語の意味も、ベルグソンの文章の、その時々の意味合いによって限定されているのだが、哲学的直観という言葉は審美(しんび)的直観と屢々(しばしば)殆ど同じ意味で使われる。

 少なくとも両者の微妙な差異が微妙に説かれているという様な個所は、彼の著作の何処にも見当たらない。恐らく彼には、そんな必要はなかったのであり、両者は、互いに心を許した道連れだったのであろう

 ともあれ、彼ほど、芸術を重んじた哲学者はいまい。彼の最初の著作から最後の著作に至るまで、彼の表現には、芸術が到るところで援用されている。この点で、彼の哲学に比肩(ひけん)する第一流の哲学は、ショーペンハウエルのものだけであろう。」(『小林秀雄全作品』 別巻1 「感想」 P52〜53)


 カントがいう「不可能性」は

  “ ウ"ィジョン ” によって可能


「ベルグソンは、論敵として、カントを屢々引用するのだが、カントへの尊敬は少しも失われていないのであり、理性批判の一番大事な、深い思想は、形而上学(けいじじょうがく)はディアレクティックによっては不可能であるが、何かによって可能である、あるウ"ィジョンによって可能である、という道を、かつてない明晰(めいせき)な批判力で開いたところにある、と考えた。

 同じ考えが、ショーペンハウエルにも見られる。彼に言わせれば、仕事の成否は、全く、カントの遺(のこ)した『物自体という躓(つまず)きの石』の始末にかかっていた。彼は、プラトンとカントとの、時空の形式に制約された人間認識の相対性を極めようとする努力の不思議な親近を説き、天井に引き上げられたイデアと地下に埋められた物自体に達する通路を、地上の人間の為に取戻そうとした。」(『小林秀雄全作品』 別巻1 「感想」P54)


 中心から周辺に向かう

 有機化の進行


「機械論は、この様な方法をとるにしろ眼の器官の部分部分の成立を説明し得ようが、これら全体が集って単純な一機能を営む所以(ゆえん)に光を与え得ないから、自然という目的や方針を持った技術家を考える目的観が現れるのだが、両方とも、根底(こんてい)では、自然は人間の如く、部分部分をとり集めて全体を作る働きをしているという考えは逃れられないのである。

 ところが、胚子(はいし)の発達を一と目見たら解る様に、生命の働きは全く趣を異にしている。生命は、要素の集合や累加(るいか)によって発達しない、分離と分割とによって発達するのである。それなら、機械論も目的論も乗り越えて進まねばならないではないか。両者とも、元をただせば、人間の仕事をする姿を頼りに、人間精神が行き着いた立脚地に過ぎぬと考えるべきだ。だが、どの方向に乗り越えるべきか。小さな事実から、大きな教訓を引き出すのは、其処だ

 器官の構造を分析すれば、限りなく細かく進む事が出来るが、器官全体の機能は、極端に単純である。もしこの対比に驚く事を知る者は、心の眼を開くであろう。同じ事物が、一方では、単一に見え、一方では、限りなく複雑な構成と見えるならば、これら二つの相の持つ、重要性或は現実性の程度は、どうしても同一ではあり得ないという事を率直に認めるであろう。

 そして、その場合、単純性は、事物そのものに属し、複雑性は、事物を様々な方面から見る見方、つまり私達の感覚や悟性が事物を表象する為に使用する記号の並列に属すると考えるのに、何の無理もない筈だ。

 複雑性は、もっと一般的に言えば、事物を人工的に模倣(もほう)しようとする際に用いる諸要素に属し、その秩序は、事物そのものの秩序とは異った性質のものであり、両者には、何処まで行っても共通点はない。

 例えば、A点からB点に、手をあげるとする。この運動は、同時に、二つの相に見える。内から、これを感ずるなら、単一な、不可分の動きだが、外から、これを眺めれば、或る曲線ABの通過である。この曲線上に、私は区別したいだけの位置を区別出来るし、曲線そのものも、区別した位置相互の或る配列として定義出来よう。

 併し、この無数の位置も、これらを統合する秩序も、AからBへの不可分の動きから、自働的に生じたものだ。機械観は、位置に眼をつけるだけだし、目的観は秩序の方に眼をつけるだけで、両方とも、現実そのものである運動を看過する。

 運動は、位置やその秩序とは異なる。位置やその秩序以上のものと考えられようし、以下のものとも考えられようが、決して同じものではあり得ない。運動が、不可分な、単一なものとして与えられれば、それでもう、継続的な無数の位置とその秩序とが、同時に与えられて了う。而も、その上に、位置でもなければ、位置の秩序でもない何かしら本質的なもの、即ち動きが、おまけに与えられる。それなら、運動とは、位置やその秩序以上のものとしなければならない。

 別の考え方をしてみよう。或る秩序に、点を並べるのには、先ず或る秩序を思い浮かべ、次に点によって、これを現さねばならぬ。つまり、集合の仕事が必要だし、悟性の働きが必要だ。ところが、単一な手の動きには、そういうものは少しも含まれてはいない。

 手の動きは、人間的な語義で、決して悟性的ではないし、要素から出来上がっているものではないから、集合でもない。すると運動とは、位置やこれを結合する秩序以下のものという事になる。

 眼と視覚との関係もこれと同じなのである。視覚のうちには、眼を構成する細胞や細胞相互の配列関係以上のものがある。この意味では、機械観も目的観も、行くところまで行っていない。だが、別の意味では、行き過ぎているだろう。

 何故かというと、両者とも、限りなく複雑な、無数の要素を集合し、整理し、苦心惨憺(さんたん)の末、見るという単一な働きを作る事に成功した、まるでヘラクレスのやる様な仕事を、自然というものに押しつけているからである。

 ところが、実は、自然は、眼を作るのに、私が手を上げる以上の苦労はしていないのである。自然の単一な動作が、おのずから分れて、無限の要素を生じ、生じてみれば、成る程、これらは一定の観念に従って配列されていると見える。あたかも、私の手の動きは、無数の点を、動きの外に振り落として進むが、これらの点は、同じ方程式を満足させる事が、後でわかる様なものだ。

 右の様な考えが、人々になかなか納得し難いのは、私達には、皆、有機組織を製造品なみに考える強い傾向から逃れる事が、容易ではないからである。有機化する事と製造する事とは違う。製造とは人間の仕事だ。製造するとは、切れ切れにした材料の諸部分を寄せ集め、互いに噛(か)み合せ、共同の働きを遂げる様にする仕事であって、言ってみれば、予(あらかじ)め考えられた働きを中心にして、その周囲に諸部分は配列される。つまり、製造という仕事は、周辺から中心に向う。多から一に向う。

 有機化という仕事になると、これとは全く反対で、中心から周辺に向う。仕事は。殆ど数学的な点から始まるのであって、この点の周囲に、同心円の波が、拡がる様に進行する。製造の仕事は、材料の分量が多ければ多いほど、効果的で、集中と圧縮とによって、仕事は進むのだが、有機化の働きは、何か爆発の様なもので、その出発に際して必要な場所も材料も、出来る限り小さなものでなければならない。

 まるで、有機化の力は、いやいやながら、空間に這入(はい)って来たとでもいう様な様子をしている。胚の命の進化過程の原動力となる精子は、有機体中の最小の細胞である。而も、実際に、そういう働きを受持つものは、精子中のほんの在るか無きかの一部分に過ぎないではないか。」(『小林秀雄全作品』 別巻1「感想」 P85〜88)


 視覚を生み出す

「生の根源の飛躍(エラン)」


「ここで、手が空気中を動くのではなく、例えば鉄のやすり屑(くず)の中を、突き抜けて動くものと想像してみよう。手が動いて行くにつれて、やすり屑は、圧縮され、抵抗を増すであろう。ある瞬間に、努力して突き進む手の性根が尽きて了う、まさにその瞬間に、やすり屑の粒は、一定の形、つまり停止した手と全く同じ形に、並列して、整頓(せいとん)しているであろう。

 その場合、手は見えないものと仮定すれば、観察者は、やすり屑の粒そのもののうちに、或(あるい)はやすり屑の堆積(たいせき)の内部にある力のうちに、その整頓の理由を探し求めるのに相違ない。或る者は、各粒子の位置は、隣りあった粒子のおよぼす作用によって決定されるとするだろうし、或る者は、一つのプランが、各粒子の動きの隅々まで宰領(さいりょう)していると考えるだろう。

 ところが、真相は、やすり屑の中を進行する手の不可分の動きがあるに過ぎないのであって、粒子の運動の探りつくせぬ細部や粒子の最後に到達した配列順序は、手の不可分の運動の、言わば消極的な表現なのであり、抵抗の総体を現した形であり、積極的な個々の働きの綜合を語るものではない。

 だからこそ、粒子の配列を結果と呼び、手の運動を原因と呼ぶとすれば、結果の全体は、原因の全体から説明がつく、と間違いなく言えるとしても、結果の部分は、原因の部分に、少しも対応してはいないのだ。機械論も目的論も出る幕ではない。何か独特な説明に訴えねばならぬ。

 ベルグソンが、ここに持ち出している仮説によれば、視覚と視覚装置との関係は、手とやすり屑との間で、やすり屑が、手の動きを描き出し、手の動き通りに運河を掘り、手の動きを限定する関係に、ほぼ等しいのである。

 手の努力が増せば増すほど、やすり屑の中に、深く手は這入(はい)って行く。手が、どの点で止まろうと、鉄の粒は、一瞬に、自働的に、互いに平衡を得て、整頓する。視覚とその器官についても、同じ事が言えるので、不可分の動きが視覚となって進む時、どこまで進むか、その距離の遠近に従って、器官の物質面となって整頓する要素の数は変るであろうが、その秩序は、完全無欠である他はない。半端な秩序など現れようがない。

 秩序を生み出す現実の過程には部分がないのだから、眼の様な道具の不思議な構造に驚く私達の心の底には、次の様な考えがある、実現されたのは、眼という器官の秩序のほんの一部であろう、秩序の完全な実現は、天恵によらねばならぬであろう、と。つまりこの秩序を、何かしら積極的なものと考え、従って、その原因を、何か分割の出来る、結果の完全度を加減出来るものと見る。

 だが、事実に於ては、原因に強度の大小があったとしても、結果は、完成した形で、一かたまりとなって生じる。視覚の方向に向う原因が、どこまで進むかに応じて、低級な有機体の色素の堆積も生じ、原始動物の分化し始めた眼も生じ、鳥の驚くほど完成した眼も生じるのだが、これらの器官は、その複雑性では不等であっても、その示す配列は、必ず一つである。二種の動物が、どんなにへだだっていても、両者の側で、視覚への歩みが、同じ速さに達していれば、両者は、同じ視覚器官を持つ事になろう。器官の形態は、はたされる機能の程度を示すだけだ。

 ここで、ベルグソンは、有名な『生命のはずみ』(l’élan vital)という言葉を使う。視覚への歩みが考えられるが、その到達目標という様なものが考えられるわけではない。事実、進化の独立な諸線上に、同じ視覚の歩みが存する以上、生命の根源の飛躍(エラン)のうちに、そういうものが含まれていると考えざるを得ないまでの事だ。

 生命とは、先ず何を置いても、未だ手をつけない物質に働きかける或る傾向である。働きかける方向は、あらかじめ決まっているわけではないから、進化の途上に、思いもかけぬ多様な形態が現れる。併(しか)し、この働きは、常に、偶然性の性格の度合の高低は示しているのであって、少くとも、選択というものの萌(きざ)しは含んでいる。選択するには、前提として、可能な行動の若干が、先まわりして表象される必要がある。

 とすれば、実際の行動に先立って、行動の様々な可能性が、生物の為に描き出されていなければならぬ。見るという知覚は、この働き以外の何物であろうか。眼に見えた物の形とは、即ちこの物に対する私達の未定の行動のデッサンなのである。であるから、視覚は、さまざまな程度で、さまざまな動物に現れ、同じ強度に達したところでは、同じ構造の複雑さが現れるのだ。

 扨(さ)て、ここまで来れば、ベルグソンが、見るという事に附した二重の意味は、もはや明らかであろう。かつて神学者は、ウ"ィジョン(vision)という言葉を見神(けんしん)という意味に使ったが、現代の科学が、同じ言葉を視覚という意味に限定してみても、この言葉の持っている古風な響きを抹殺し得ない。生きた言葉は、現実に根を下しているからである。

 肉眼を肉眼によって説明しようとする道は、あらゆるところで、自家撞着(じかどうちゃく)を現し、遂に、肉眼が創り出された所以(ゆえん)のものへの直観に導かれざるを得なかった。ベルグソンの努めたところは、ウ”ィジョンという言葉に、その全福な意味を回復する事であった。恐らく良識が、この言葉に許している豊かな意味の明瞭化にあった。

 画家のウ”ィジョンも同じ事で、肉眼を越えて見ようとする努力が払われなければ、ウ”ィジョンの意味をなさない。彼は、単に眼があるから見るのではない、寧ろ、眼があるにもかかわらず、見抜くのである。」(『小林秀雄全作品』 別巻1「感想」 P89〜93)




◼︎小林秀雄氏

CD 小林秀雄講演 第一巻より

「文学の雑感」< 講義・質疑応答 >

/ 新潮社 写真:新潮社写真部



 芸術家に倣(なら)うべき哲学


「ベルグソンは、哲学者にも、思惟や推理の能力を少しも捨てずに、思い切って芸術家の方法に倣(なら)う道があるとする。そして、恐らくこれが、哲学を一つにする唯一の道だ、と考える。知覚の裡(うち)に入り込み、いよいよこれを掘り下げて行くという道がある筈だ。

 知覚の裡に引入れた意志が拡がるにつれて、私達の事物の視覚も拡がる、という事になれば、感覚が意識の与件を少しも犠牲にするには及ぶまい。どんな現実の眺めも、他の現実の眺めを説明するという口実の下に、これに取って替るという事は起るまい。そういう哲学が得られるに違いない。

 この哲学は、後から他の哲学が来て拾い上げる様なものは、何一つ残しはしまい。与えられるものは、何も彼(か)も摂取する。感覚や意識が努力しなければならない哲学だから、感覚や意識が通常供与する以上のものも取って了うだろう。

 概念の相違によって争う哲学の代りに、同じ一つの知覚の裡に、あらゆる思想家が折れ合える様な哲学、人々が、一つの知覚を拡大深化する為に力を合わす事の出来る様な哲学が出来なければならない筈だ。

 芸術家が、物を直(じ)かに見る為に、現実からの一種の遊離を行う様に、思想家も、現実への実用的な関心の側面から、注意を外らせる事が必要だ。この注意の一種の転換は、無論、生活からの離脱を意味しないし、日常の近くに背を向ける事でもない。

 言わば注意力の教育を言うのであって、もし知覚というものへの愛着(あいちゃく)を深める様に努力すれば、知覚は思いがけない性質を、思想家に明かすであろう、と言うのだ。ベルグソンが、「変化の知覚」を取り上げた理由は、其処(そこ)にあるので、変化の知覚とは、即ちその思い掛けない性質なのである。」(『小林秀雄全作品』 別巻1 『感想』P152〜153)


 ゼノンの運動に関する有名な逆説


「ゼノンの変化或は運動に関する逆説は有名である。ベルグソンは、この議論が、哲学史の端緒にあったという点に、大きな意味を認め、作品の各所で、これに触れているのだが、それも、このアキレウスは、決して亀を追い抜く事は出来ないという議論、亀が居た点まで、アキレウスが到着した時には、亀はその間に、先に進んでいる筈だ、この状態は、次から次へと限りなく続く筈だ、という議論は、普通考えられているより、遥かに困難な問題を孕(はら)んでいるからだ。

 ベルグソンに言わせれば、ゼノンは現実の運動を知覚しているのではない、運動の影、運動の知覚の言わば結晶を考えているのであり、これから現実の運動の背理(はいり)を導き出しても無意味なのである。

 アキレウスは、実際に亀に追い附き、追い抜いたのであるから、当人に訊(たず)ねてみるのが一番だが、もし彼が、自ら行う運動を、直かに見たところに従って率直に語るなら、次の様に答えるに違いない。

 実は、ゼノンは、私にこういう注文をつけたのだ、私の居る地点から、亀が去った地点まで、先ず行き、次に、その地点から又亀が去った地点まで行き、とそういう具合に走ってくれ、と。だが、私は御免を蒙(こうむ)って、自分のやり方で走る。先ず一歩踏み出し、次に一歩踏み出し、幾歩か目で亀を跨(また)ぐ、そういう走り方で、不可分の動作の一連を完了する。私の駆足を、私の歩数だけの部分に、分けて考える事は出来る。だが、これを別の法則に従って区分したり、又別の仕方で区分されていると仮定する権利が、誰にあろうか。

 ゼノンの注文に従うなら、私の駆足を、私が駆けた空間の様に任意に分解する事を許す事になる。それは、経過というものが経路というものに、現実に一致すると考える事だ。つまり、運動と不動とがぴったり合う、とする事、従って両者を混同する事だ。

 不動を寄せ集めれば、運動が出来上がるという考え方が、私達のいかに強い習慣的な物の考え方になっているかを思えばよい。不動で運動を構成していというその事が、運動を眺めているというその事になって了っている。(中略)

 運動のあるところに運動を見るという事が、私達の思想に惹き起こす困難を、私達は本能的に恐れているものだ。不動という荷物を、しこたま運動に載せて了えば、貴方が運動について語るところは尤もだという事になるのだが、実は、運動で手一杯でなければ、運動というものは存在しないのである。先ず不動は現実であり得ると、決めて了えば、運動を摑(つか)んだと思った諸君の手から、運動はこぼれ去るであろう。」(『小林秀雄全作品』 別巻1 「感想」 P154〜P155)


 裸の意識は

 絶対的な「実在」に触れている


「この作(注:『物質と記憶』)の七版の序文で、ベルグソンは、自分が出発した立場は、常識の立場だ、と断っているが、それは、最初の著作『意識の直接与件論』以来、変っては

いないと言える。

 常識は直接に意識に与えられているものを、真実のものだ、とする。直接に知覚する事物を、真実の事物と、常識が信じざるを得ないという事に、間違いがあろう筈はない。裸の意識は、絶対的な実在にふれている。

 ただ、事物を直接に知覚する働きは、極めて微妙なものであり、常識は、この事については綿密な反省を欠いているのが常である。又、実際、常識には、これを感じているだけで充分だ。

 日常生活で、微妙に有効に働く知慧(ちえ)は、意識の直接与件の感じによって、常に、その粗雑な翻訳に過ぎぬ知識を修正して止(や)む時はないからだ。ベルグソンの努めるところは、この常識の沈黙の解明である。」(『小林秀雄全作品』 別巻1 「感想」 P167〜P168)


 知覚と呼ぶ “ イマージュ ” の体系


「眼をあければ、物が見え、眼を閉じれば見えなくなる、という一番素朴な経験に立ち返ろう。それは、私が世界の知覚と呼んでいるイマージュの系(システム)だ。ところで、このイマージュの体系は、その中にある或る特権を持ったイマージュ、つまり私の身体というイマージュに、ほんの微(かす)かな変化が起れば、ひっくり返って了(しま)うのである。

 この身体というイマージュは、全体系の中心を占めていて、他のすべてのイマージュは、これによって規定される。このイマージュの運動により、すべては、万華鏡(まんげきょう)を廻す様に変化する。

 ところが、一方で、この同じイマージュの群れは、それぞれ、自分のものは自分のものと言った態度をとっていて、相互の間に影響こそあれ、影響は、結果が原因に相当する様に行われている。これが私達が世界とか宇宙とか呼んでいるものである。

 ではこれらの二つの系が、何故共存するのか。同じイマージュが、宇宙に於いては、比較的不変であるのに、知覚に於いては、無限に変化するのを、どう説明したらよいか。宇宙は、私達の思想にうちに在るのか、その外に在るのかという問題の出し方による論争が、有害無益なのは、宇宙とか思想とか存在とかいう言葉が、論者によって、勝手な意味に使われるからだ。

 共通の地盤を摑(つか)まえねばならぬが、共通の地盤と言えば、事物をイマージュとして考えるところにしかないのだから、ただこのイマージュとの関係だけから、問題を論ずべきだ。そうすれば、同一のイマージュが、同時に、明らかに異なった系に現れ得る事に、誰も異存がある筈がない。

 一つの系は科学(science)に属し、他の系は、意識(conscience)に属する。問題は二つの系の関係を明らめる事であり、第一の系を第二の系から導来(どうらい)しようとしたり、第二の系を第一の系に還元しようとする事にあるのではない。

 そういう事を試みようとすれば、何(いずれ)も自足した完全な系なのだから、何か無理な人為的な工夫が必至となる。実在論、或は唯物論に立とうとするものは、中心点というものもなく、どの要素も、それぞれ絶対的な大きさなり価値を持ったイマージュの系から発足するのだが、この系に、どんな理由があって、もう一つの系、即ち或る中心的なイマージュがあり、この変化に従って、凡てのイマージュが不確定な値を取る系が加えられるのかわからない。

 そこで、知覚というものを作り出す為に、随伴現象的意識という様な仮説を、捏造(ねつぞう)しなければならない事になる。出発点とした絶対的変化を営むイマージュの系から、私達の脳髄と呼ばれている或るイマージュを特に選び出す。このイマージュの内部状態は、どういうわけか二重になっていて、一切の他のイマージュを、今度は、相対的な、不定なものとして再生産するという不思議な特権を与えられているものとする。

 いったんそう仮定して了えば、あとは口をぬぐうのである 再生産されたそんな表象など一向に詰(つま)らぬものだ、という振りをする。脳髄の振動が後に残した燐光(りんこう)を見ているだけだ、という様な事を論ずる。

 だが、それでは、まるで、この表象を構成しているイマージュのなかに詰め込まれた脳髄の実質や脳髄の振動は、イマージュとは違った性質を持ち得ると言っている事になるのではないか。一口で言えば、知覚とは偶然なものであり、わけのわからぬものだと言う外(ほか)はない。

 反対に、イデアリズムは、中心点のあるイマージュの世界から出発する。この中心点をめぐって、この中心の些細(ささい)な変化によって深大な影響を受けるイマージュの群れがある。そういう系から出発しなければならないとしたら、先ず、自然の秩序、つまり私達が何処から出発しようと、どんな立場に立とうと、そんな事には全く無関心な秩序、これを取り除く必要があろう。取り除いて置いて、後に再びこの秩序を回復しなければならぬとしたら、やはり得手(えて)勝手な仮説を思い附くより外はあるまい。

 事物と精神の間には、或は少くとも感性と悟性との間に、理由もわからぬ予定調和を設けて、これを頼りとせざるを得ない。そこで、今度は、科学が偶然なものになる。その成功は神秘的なものと考える他はなくなる。

 この様に、イデアリズムもレアリズムも、同じ地盤に連れもどされれば、反対の方向から、同一の障碍に衝突する事は明らかであり、これをごまかす為に、ともに見え透いたからくり(deus ex machina)を案出する事になる。

 何故そういう事になるかというと、元はと言えば、両者ともに、知覚というものを、全く知的な関心、純粋な認識と仮定しているところに由来する、とベルグソンは見る。従って、この暗黙の仮定により、論争は、この認識に、科学的認識に面と向った際に、どんな位階を与えたらよいかという事を出られない。

 一方が、科学の要求する秩序から出発して、知覚を一時しのぎの混乱した科学に過ぎぬと見なせば、他方は、先ず知覚をかかげて、これを絶対的なものに昇格させ、科学は実在の記号的(サンボリック)な表現に過ぎないと見なす。

 何を置いても、知覚とは先ず認識であるという考え、動物の神経系統の構造を、少しでも観察すれば、忽(たちま)ちぐらついて来る様な仮定を、どうして信ずる事が出来ようか。どこまでもつきまとうものは『コギト』の亡霊である。知覚に、その肉体を取戻さねばならない。知識としての世界の中心にある『コギト』を実在の世界に連れ戻さなければならない、と言ってもよかろう。

 それは、誰もが身体なしには知覚していない常識の世界である。常識は、世界という知識の中心に自分がいるとは考えはしないが、自分は、外から働きかけている事物に対して、内からこれに応じている行動の中心である事を決して疑ってはいない。出発点は、其処にしかない。」(『 小林秀雄全作品』 別巻1 「感想」 P169〜172)


 知覚の瞬間的な切断面こそ

 「物質界」である


「このように、私の現在が、本質上、感覚・運動的なものであるとは、私の現在は、私の身体についての意識に成立している事を意味する。私の身体は、空間中に拡がり、感じ、動いている。この拡がりの決まった点に、感覚や運動は局限されているのだから、一定の瞬間に、唯一の感覚と運動とのシステムしかないわけだ。だからこそ、私の現在は、過去とははっきり区別され、はっきり限定されたものと感じられるのである。

 私の身体は、働きかける物質と働きかけられる物資との間に介在する動作の中心であり、受け取った印象を、遂行された運動に変ずる為に、採るべき路を適当に選択する場所である。それは、私が何かに成ろうとしている、その現に在る状態を現す。

 更に、一般的に言えば、実在そのものに他ならぬこの生成の連続に於いて、私の知覚が、この流動体中に行う殆(ほとん)ど瞬間的な切断によって、現在の瞬間は成立する。この切断面こそ、私達が物質界と呼ぶものに他ならない。

 そして、私達の身体が、その中心を占めている。私達の身体は、この物質界にあって、その流動を、直接感知する部分であり、この部分の現に在る状態に、私達の現在の現実性が成立している。

 そういう次第で、ベルグソンの定義に従えば、物質は、空間の中の延長である限り、絶えず新たに始まっている現在であり、逆に、私達の現在とは、私達の生存の物質性そのもの、即ち感覚と運動との総体以外の何物でもない。この総体が、持続の各瞬間にあって、決定された、唯一のものであるのも、感覚と運動とは、空間を占有するし、同じ場所に、同時に幾つかの物は存在し得ないという理由に基づく。

 この考えは、常識の考えるところに全く一致するもので、明白、単純な真理なのだが、これに関し、様々な議論が起るのも、元はと言えば、現実の知覚と純粋な記憶とは全然異質のものだと認めるのをためらうからだ、とベルグソンは言う。

 現実の感覚は、私の身体の表面の決まった部分を占めているが、純粋な記憶は、私の身体のどんな部分とも関係を結ばない。無論、純粋な記憶は、実質化されて、感覚を生みはするが、その途端に、記憶たる事を止めて、現在の事物の状態に移り、現実に生きられるものとなる。そうなれば、もう、これに記憶の性質を取戻してやるわけにはいかない。

 これが記憶である、と私が認める為には、私の過去の奥底に潜在していた記憶を喚び起こした働きのなかに、私自身が再び立ち還って見なければならない。という事は、まさしく、私は、純粋な記憶を現実化する、つまり感覚が運動を誘発できるようにするのに、純粋な記憶を能動化したに相違ない、という事になるのではないか。

 心理学者達は、こういう常識の二元的な見方を、理由なく嫌う。彼等は、知覚と記憶との驚くべき相違を、あるが儘(まま)に見ない。見ているものは、物質化された記憶であり、観念化された知覚である。記憶といえば、イマージュの形式でしか、これを認めない。つまり、現れ始めた感覚のうちに、既に具現していたものとしか認めない、という事になる。感覚に本質的なものを、記憶に移しているわけだ。

 而(しか)も、記憶の観念性こそ、記憶を感覚そのものからはっきり区別するものだという事を容認したがらぬ。従って、純粋な感覚を考えなけければならぬ場合に立還ると、これに、観念性を許さざるを得ない。その観念性とは、予(あらかじ)め暗黙のうちに、現れ始めた感覚に与えたものだ。もし、能動力のない過去が、微弱な感覚の状態で存続出来るなら、無力な感覚というものがある筈だ。

 もし、身体の一定の部分に関係しない純粋記憶が、現れ始めた感覚だとするなら、感覚は、身体の或る部分に、必ずしも局限される必要はない筈だ。そこで、浮動状態にある感覚が、身体のうちに固定して、延長性を得て来るのは、ただ或る偶然によると看(み)なさざるを得ない。

 物質に関する空疎(くうそ)な形而上学が生れて来るのも、根柢(こんてい)に、右のような、実際経験に関する見方があるからだ。だが、これについては既に、知覚の分析の場で述べた。ベルグソンは、断乎(だんこ)として言う、感覚は、本質的に、延長を持ち、局所を持つ、それは、運動の源である、純粋記憶は、延長を持たず、無力であって、感覚とは、何等共通点を持たぬ、と。

 私の現在とは、直(じ)かに未来に面接する私の態度であり、私の切迫した動作であり、従って、まさしく感覚・運動的なものである。私の過去のうちで、この私の動作に協力するもの、はまり込むもの、一口で言えば、利用されるものだけが、イマージュとなる、つまり生れたての感覚となる。が、私の過去は、イマージュとなるや、純粋の記憶の状態を去って、私の現在の一部と混合する。

 従って、イマージュとして現実化した記憶は、純粋記憶とは、根本から異なる。イマージュは現在の状態であり、これを発生した記憶によってしか、過去に参ずるものではない。これに反し、記憶は無用な状態に止まる限り無力なものであり、現在には関係なく、従って延長を持たぬ。

 そして、この純粋記憶の根本的な無力というものが、まさしく純粋記憶が、どうして潜在的状態で保存されるかという事を理解する鍵になる、とベルグソンは考える。ここで、彼は、無意識という問題にふれるのだが、精神分析学が普及した今日でも、この事は、はっきり考えられてはいまい。

 何故かというと、ベルグソンのように、意識の職能というものを徹底的に究明しない限り、無意識の事実性或(あるい)は自立性に関し、いろいろ異論の余地が残ると思われるからである。」(『 小林秀雄全作品』 別巻1 「感想」 P223〜226)


 夢に欠けている「集中する努力」


「夢みていても、目覚めていても、働いている精神の諸能力は同じ事だ。ただ、夢に欠けているのは、これらを集中する努力であり、それだけが両者の違いである。そうベルグソンは結論する。夢の作る像は、豊富であり、その動きも迅速だが、精神生活では、この豊富や迅速は、努力を意味しない。

 努力が要求されるのは、調整の正確だ。心理的事実が問題になる時、先ず、その生物学的な意味を問うのが問題だ、というベルグソンの基本の考えは、夢を説く場合も少しも変らない。」(『小林秀雄全作品』 別巻1 「感想」 P267)


 哲学とは自己の経験の拡大である


「『意識の直接与件論』という芽生えから、彼の全著作は成長している。これは単なる比喩ではない。『創造的進化』は、或る期に考えられた或る学説ではない。『与件』が育ち開花するのに、忍耐と努力とを要したというその事の現れなのである。彼が後年明言しているところを見よう(Intoroduction II)。

『新しい問題の為には、全く新しい努力を精神に求めねばならぬ。そういう方法の特徴を、緊張(タンシオン)とか集中(コンサントラシオン)とかいう言葉で、私は言ったのである。(中略)

 私が、真の哲学的方法について、開眼したのは、内的生活のうちに、経験というものの最初の場所を発見し、言葉による解決を放棄した日である。

 以後の進歩は、すべて、この場所の拡大であった。或る結論を、論理的に拡張し、他の対象に当てはめる。対象調査の範囲を、現実に拡大する事なく、当てはめるのは人間の精神に自然な傾向であるが、これに負けてはならぬ。(中略)

 そういう次第で、自分の以前の仕事の結論を、そのまま延長して来れば、見掛けだけの回答は、手易く得られるだろうと思われる重要問題も幾つかあったが、これには触れるべきではないとした。

 私は、問題を、それ自体のうちに、それ自体の為に、解決する時間と力とが、私に許されている限り、私は、あれこれの問題に答えるだけであろう。さもなければ、自分の方法が、若干の問題についての正確な解決と信じられるものを、自分に与えてくれた事を認め、自分としては、これ以上何も引出せない事を確かめ、そこに止まるであろう。誰も本を書く事を強いられているわけではない。』

 これで明らかなように、ベルグソンは、最も確実と信じられる自身の経験を拡大しようと努めただけだ。悟性による論理を拡大するには努力は要らない。それは努力というよりむしろ注意力の問題である。だが、経験を拡大するのには、その都度(つど)、精神の緊張と集中とを新たにしなければならない。

 ベルグソンにしてみれば、こんな簡単明瞭な事はなかった。それは、誰でも、それとは気附かず行っている事なのである。彼には、哲学とは、何等特殊な学ではなかった。哲学とは、自己の経験の拡大であり、著作は一貫してごまかしのない彼自身の姿を提供し、これによって読者にも読者自身に還る事を期待する。ベルグソンは、これ以上の事を、何も望みはしなかった。

 実を言えば、彼は、単に、仕事に努力していれば足りたのである。自分には勿論(もちろん)、人々にも、もしわれに還ってみれば、自明である筈の努力を、敢て自分の方法として主張する理由はなかった。彼は、方法論を考えたのではなく、あらゆる先入主を捨て、物を見、物を考える事を決心し、これを絶えず実行したまでなのであるから。

 先ず、あらかじめ考えられた方法があり、次に、その応用があるという考え方ほど、彼の仕事から遠いものはなかった。その意味で、彼は、方法の予定を一切無視した人であり、実際の仕事が、逆に方法の正しさを証明すれば足りるとするのが、彼の仕事に対する基本的な態度であった。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P30〜31)


 自由とは与えられた事実である


「ベルグソンは、何の前置きもなく『前置き』の中で言う、『私は、いろいろな問題のうち、形而上学(けいじじょうがく)と心理学とに共通するもの、即ち自由の問題を選んだ』と。なるほど哲学者も心理学者も、自由を論じている事は誰も知っていた。いかにも問題は、両者に共通であった。

 だが、ベルグソンの説明したのは、両者は、同じ自由を論じて、例えば何故袂(たもと)を分つのか、その理由であった。言いかえれば、両者に問題が共通であるという真の意味は、未だ少しも問われてはいないという事であった。

 自由というような普遍的な経験が、これを研究して行くと、その肯定になったり、否定になったり、その他さまざまな結論に行きつくというような事を、もし常識は許さないのなら、ベルグソンは、研究の立場よりむしろ常識の立場に立っていたと言っていい。(中略)

 そこで、ベルグソンの自由論では、ただ、哲学者の論証と心理学者の実証、即ち問題解決への方法が、精細に吟味された。繰返して言うが、その力には抗し難いものがあった。だが、読者が、知らず知らずのうちに期待していたような、問題の解決は、決して現れはしなかった。自由は、普通の意味で、否定も肯定もされなかった。

 証明されたのは、自由とは与えられた一事実であるという事に過ぎなかった。これは問題の正しい提出であった。(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P33〜34)


 心理生活は断絶のない記憶の流れ


「プルーストには、薔薇を嗅ぐという動作が、そのまま『失われし時を求める』という創造的な記憶の湧出(ゆうしゅつ)であった。彼は、何等文学者の特権を行使したわけではなかった。記憶という生き物に、何の前提もないままに、彼は、誰もがするように、一挙に過去の中に身を置いたまでである。

 誰もが、『失われし時を求めて』即座にこれを得るのは、心理生活とは、断絶のない記憶の流れに他ならないという事実の経験によってだ。過去は絶えず現在に延びており、現在は絶えず未来を押している。意識にとって、生存しているとは、この持続のうちにあって、自らを育て、自らを創っている事だ。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P37)



◼︎ 小林秀雄氏

『直観を磨くもの』より

新潮社 / 新潮文庫

写真:新潮社写真部

2014年初版発行



ベルグソンが

「言葉による解決」を放棄した意味


「私は、自分の自由を感じ、私は、自分の未来の行為の必然的な決定を許しもしないし、理解さえしない。この自足した統一感が意識の証言の唯中(ただなか)にいて、私が経験から教えられる凡(すべ)てである。即ち、真の時間の流れと、私は合一しているという実感である。それが、ベルグソンが、内的生活のうちに経験というものの最初の場所を見附けたという意味だ。

 彼は、時間は果して空間であるかと勝手に問うたのではない。むしろ、この経験の最初の場所が、彼にそう質問するのに、耳を傾けたのである。自由の問題を思い附いたのではない。自由という問題的な事実に出会ったと言った方がよい。

 私達は、又、この著作のプロローグに戻るだろう。純粋な内的経験は口を利く習慣を持たぬ。これを感じて黙っている忍耐が必要である。これが、ベルグソンが、言葉による解決を放棄したという意味だ。彼に残されたのは、経験を、その内部にあって、それ自体の為に解決しようとする道であった。

 彼は、ここに、生活の便宜に乗じた智慧からの突破口を見附けた。彼が、内生活で見附けた経験の最初の場所は、実在に向って開いた、言語道断な境域であり、これを説明しようとするあらゆる間に合わせの言葉を拒絶しているが、それにもかかわらず、もしこの境域に身を沈め、これと共感して生きているという自覚の集中と緊張とに堪えるならば、この境域固有の言語の発生を感ずる。

 言わばこの沈黙の声は、この境域の拡大につれて、増幅され、強調されるだろう。そういう言葉の吟味が、実在について本当に考えるという事であり、この考えの端緒さえ摑んで放さず進めば、実在は、その自然な分岐分節に添うて、正しく分析され、説明されるようになるだろう。これが、ベルグソンの確信であった。確信であって方法ではない。

 彼の仕事の直接的方法をいう前に、彼が、この言い難い確信を仮りに直観(intuition)と呼んでみたという事を思うべきである。複雑で言い難いのではない。確信はあまり単純だからだ。作中、直観という言葉は、いろいろに使われて、定義された例(ためし)はない。

 特にこの言葉について、念入りに語られた場合でも(L’intuition philosophique)、その不思議な力が語られているだけだ。彼は、直観の力を、ソクラテスに附きまとったダイモンの声に比している。」(『 小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P44〜45)


 心眼に映じる「見えた形 “ image ” 」


「ベルグソンは、直観という言葉を重んじたのではない。外的実在の経験を、視覚とか触覚とかと諸君が呼ぶなら、これとは全く性質の違った内的実在の経験を、直観と呼んでみたらどうかと言ったに過ぎない。という事は、実は、読者は、まことに厄介な相談を持ちかけられたという事なのだ。

 ベルグソンは、物は相談だが、と読者に言う。諸君も、諸君のダイモンを捜してはどうか。意識の直接与件は、誰も経験しているが、その厄介な反省は、誰も本能的に避けている。諸君のうちに、諸君のダイモンがいないわけではない。捜さないだけだ。

 私の著作が、その機縁になれば幸いである。他に、何を望もう。めいめいのダイモンが孤立しているのはわかり切った事だ。しかし互に孤立している事が、互に矛盾している事にはなるまい。

 ここに、ベルグソンの表現に於ける “ image ” という重要な問題が顔を出す。彼が、直観を言う時、一種の内的な資格とか聴覚とかを考えている事は疑いないので、直観と呼ぶ内的経験自体を説明しようとすれば、これは消えるが、経験のうちにあれば、その自明性につき、確実な一種の感覚を持つ、とする。

 ダイモン自体を捕える事は不可能と感じてはいるが、意識はその姿を見、その声を聞く。そういう主観客観の別のない純粋な内的経験の現前(présence)を、私達は感じている。その形は心眼に映じている。これをベルグソンは、見えた形(image)と呼んでいると考えてよいようだ。このイマージュと呼ばれているものを、定義する事は出来ない。疑いもなくそう見えたと言うより他はない。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P47〜48)


『物質と記憶』の難解さは

「実在」の複雑紛糾に由来する


「『物質と記憶』の難解は、誰も言う。その七版の序文で、著者は、これに答えて、この本の或る部分の複雑紛糾は認めるが、それは、『実在(レアリテ)の複雑紛糾そのものに由来している』と言う。これは重要な発言で、ベルグソンにしてみれば、難しく書く考えは、勿論(もちろん)、毛頭なかったが、それよりも、易(やさ)しく書いていい理由は、恐らくく、何処(どこ)にもなかったのである。

 これは、やはり、『口を利く習慣を持たぬ自然』に、無理に口を割らせようとしてはならないというあの考えに通じている。自然に問いかけられている事を待たず、自然に問いかける道を急ぐから、思想家は、思い附きの原理からの安易な演繹(えんえき)を、困難な自然の説明に代えて了(しま)うのである。

 そういう道を、全く信用しないベルグソンは、自己によって、現に疑いようもなく生きられている事実から出発する。つまり、経験的事実から出発するのだが、ジェイムスを論じた文中で(Sur le pragmatisme de Willam James)、言っているように、ベルグソンが、経験(expérience)という言葉を使う時には、いつも英語の “ to experience ” という動詞の独特なニュアンス、単に事実を確かめるのではなく、事実を感じるままに、生きるという意味合が念頭にある事を忘れてはならない。

 そこで、この意味合での経験的事実の群れのうちには、物理学者や化学者が見附ける、問題を一挙に解決するような事実は一つも見附からない事を、ベルグソンは、率直に容認する。事実を経験しているとは、言わば、自然から問われている場所に立っている事であり、これを忘れて、自然に問おうとすると、知らず知らずのうちに、生きられる事実を考えられる事実で代用し、それで、自然が、実証的に説明されるよう思い込む。自然を、もっと謙虚に考える道がある。黙した自然に倣(なら)って黙してこれを理解する道がある筈だ。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P48〜49)


 事実は

 意識が直接与えられていること


「ベルグソンには、経験的事実という与件さえあれば、何一つ不足したものはなかった。事実が、意識に与えられているという事は、その与えられ方を、私達は経験しているという事に他ならず、それは、言い換えれば、事実から私達は問われているという事である以上、私達は、事実に関する質問や説明の仕方を、こちらで工夫する必要はない。単純率直に仕事を始めればよい。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P50〜51)


 精神と物質の二元性

 それは「常識」そのもの


「『物質と記憶』で、ベルグソンは、一応、常識の立場から、仕事を始めたと言える。常識人は、意識の直(じ)かに語りかけて来るところを、率直に聞く耳を持っているから、内に心が在り、外に物がある事を、少しも疑ってはいない。精神と物質との二元性は、自分が、世界の中に生きているという常識そのものである。

 だが、常識人は、この基本的な立場から考え始めはしない。行動を始めるのであり、立場の意味も問いはしない。それは、言わば行動の掟(おきて)であれば充分なのである。

 考えはするが、行動を念頭に置かずに考えはしない。外界に、如何(いか)に適応すべきか、物をどう利用したらいいか、これが悟性の原則であり、行動指導者としての悟性の役割は、科学が始まる前に始まっている。

 行動は外に向かい、考えも外に向かう。物質についての認識が進めば進むほど、行動は有効になる。なるほど自分の行う事、行った事について考えはするが、この内に向う反省めいた動きは、精神めいたものに廻(めぐ)り会うに過ぎない。

 何故かというと、精神に廻り会った時には、精神は既に、外界を利用し、外界に適応しようとする行動の準備を整えた姿で現れているからである。真の反省が稀(まれ)だという事は、それが、行動には無用であるが為だ。

 物質の構造を明らかにしようとする努力は、行動の目的に添うが、精神の本来の姿を見ようとする努力は、この目的から外れる。ここに、生活の要求に基づく、極く自然な、私達の無知がある。

 この事を念頭に置いていれば、精神を直視する直観的能力も、私達には与えられているのだから、この能力を強化し、拡張する事により、行動を目安に考える誘惑を脱して、真に考える道は開ける筈だ。そういう意味で、ベルグソンが、仕事の方法の上で、直観を言う時、反省する常識が考えられていたと言ってよい。

 精神の実在も物質の実在も、私達の生きている経験に与えられている事を、常識は疑いはしないが、ただ、疑わなくてもいい事実で済まして、これを確認しはしない。常識に欠けているのは、自己に還る努力である。」(『 小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P55〜56)


 見た通りに存在する

 “ イマージュ ” としての物質


「歴史について見ると、物質に関して、二つの考え方の流れがある。一つは、イデアリストの考え方で、物質とは、意識一般に現れる以上のものではない、表象の対象とならぬような、物質固有の性質など認めない。要するに事物には、その潜在的性質があるとは考えない、そういう立場をとる。

 これに反し、レアリスト考え方では、物質とは、その表象とは独立した存在なのであり、物質についての私達の表象の背後には、私達には近附けぬ表象の原因がある。つまり、現実の知覚の背後には、或る力、ある潜在力が隠れている、という立場をとる。

 ところが、常識は、どちらの立場にも組しない。物質は、精神のうちに、精神にとって存在する、と言ったら、常識は驚いて、物質は、これを知覚する私の意識の外に、独立して存在すると主張するだろうが、この物質という独立存在は、君の眼の見る色も君の手が感ずる抵抗も、実は持ってはいない、と言われたら、当惑するだろう。

 何故、そんな事になるか。ベルグソンの考えからすると、常識は、物質の真の性質とは何か、というような無遠慮な質問をしないからである。ベルグソンは『物質と記憶』で、物質の本質とは何か、という物質理論一般を説こうとする野心は、少しも持っていない。それは、あまり抽象的な問題の出し様だ。

 具体的には、私達は、外界を相手に、心の生活を営んでいるのであり、単に、心の生活に於ける身体の機能とは何か、という風に問題を呈出すれば、両者の結合も分離も、経験的事実なのであるから、問題を一挙に解決しないまでも、解決への確実な一歩は踏み出せるわけだ。

 その第一歩として、イマージュとしての物質を、ベルグソンは言う。物質は、常識人にとっては、見たところに、見た通りに存在するものだ。そう見える事と、そう在る事の間に区別はないし、見る私と見える物との間も引きさかれてはいない。

 この議論の余地のない基本的経験が、イマージュは、実在の一部を成す事を語っている。物がイマージュとして現前しているとは、純粋な知覚と呼んでいいものは実在する物のそういう部分に他ならぬという事だ。単に、物がそう見えているのと物をどう呼ぶかとは違う。物のイマージュは、物の表象ではない。物の表象を得ようとする動きは、直接に経験されている物を意識的知覚に化そうとする動きであり、為(ため)に、普通、意識的知覚は、記憶の要素や感情の要素の混入によって、複雑に構成されたものとして現れている。

 表象は、この構成作用に由来する物で、これは、有効に行動するという実用的目的を持つ。この目的によって、生きた豊かなイマージュは、その何物かを失い、固定され、組織されるわけで、それが表象能力としての知性の役割である。知性は、物のイマージュを、私達に与える事は出来ない、物の表象を与えるだけだ。

 従って、ベルグソンの言うイマージュとは、かくかくと知覚される、或(あるい)は知覚され得る限り、事物自体の直接経験を暗示する物であり、事物のどんな説明でもない。比喩でもなければ、抽象でもない。

 比喩や抽象に引摺(ひきず)られて、実在全体を説明しようとする野心を捨てよ、と彼は勧告する。実在全体を覆(おお)い得たように見える説明でも、実は、実在の或る考え方、実在を見る或る立場を説明しているに過ぎない。

 イマージュは、全実在ではないが、私違が実在に直接触れている、即ち私達も実在の一部を成している事は、はっきり語っているものだ。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」P57〜59)


 本能的な智恵と科学的な智恵

 中間に位置する「常識」


「ベルグソンは、常識を、本能的な智慧と科学的な智慧との中間あたりに位するものと考えている。生活経験のうちに練られるこの智慧は、その決心の素速さとか、その性質の自発性とかという点では、本能の働きとよく似ているが、その方法が多様であり、その形式が柔軟であり、知性の自働人形めいた動きから、絶えず私達を守ろうとしている点では、本能とひどく異なったものだ。

 現実に対する配慮、飽くまで事実との接触を断つまいとしているところでは、科学的智慧に似ているが、その目指す真理の種類が、科学とは違う。

 科学は、普遍的な真理を求めるが、常識の求める、真理は、現在の真理であって、常識は、今度という今度は、真理を摑(つかま)えたとは言わぬ。その都度その場の道理を、作って行く。

 他方、科学は、どんな経験的事実も、どんな推理の結果も、おろそかにはせず、その作用するところを、一つ一つ徹底的に辿(たど)ってみるのだが、常識は選択する。若干の作用は、実用上省略しても構わぬとする。原理の展開も中途で止める。

 つまり、あまり露骨な論理は現実の微妙を傷つけると感ずる、まさにその点で、止めて了う。事実と理窟とが互いに押し合う中間で、或る選択が行われねばならぬというわけだ。

 要するに、常識と呼ばれているものの働きは、何か本能以上のものであり、科学以下のものであり、精神のある傾きを、社会生活に向けられた或る注意力とでも呼ぶべきもの、とベルグソンは考える。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P60〜61)


 「常識」なくして

 「哲学の飛躍(エラン)」はない


「常識は哲学ではないが、常識という跳躍台がなければ、哲学の飛躍(エラン)はない。」

(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P65)

「常識は余儀なく悟性に方向づけられた行動であるから、悟性を信用しているが、悟性を自負してはいない。行動は、現実との不断の接触を要求しているから、悟性が、この接触を危くすれば、常識は、即座に悟性の方を捨てているのである。常識に自負があれば、むしろ其処にある。

 悟性と直観とは異(ちが)うというベルグソンの考えが、常識に直観がないという事になる筈がない。常識には直観がいつも可能だ。直観は、言わば、常識に常に潜在している。

 従って、強い自覚によって直観の力を育成し、この力線を辿り、これを、常識という人間的な余りに人間的なもう一つの力線を逆行して、仮説的に延ばして行けば、経験というものの曙(あけぼの)に、少くとも経験が直接的なものから功利的なものへ、本源的なものから人間的なものに変ずる転向点に触れる筈だ、と彼は確信していた。

 自負された悟性の如きは、哲学に何の関係もないが、常識なしに哲学はないのである。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P66)


「意識」とは

 脳が生み出す燐光に過ぎないのか?


「常識が直接に、素直に経験しているところを言えば、各人は一個の身体であり、この身体という物は、突けば前に出るし、持ち上げて放せば落ちるし、要するに、他の凡(すべ)て

の物と同様に、外部からの機械的な原因によって、法則通り運動するが、一方、どうも内部から来るらしい他の原因によって、全く性質の違った運動、普通、自由なとか任意なとかと呼ばれている運動も行う。この原因を、常識は、『私』と呼んでいる。

 ところで、この『私』を、私達は普通どう思っているかと言うと、結びつけられいる身体のあらゆる部分を、空間的にも時間的にも食(は)み出す何物かだ、と思っている。

 無論そう思うのが、正しいからそう思うのではなく、ただ、そう見えるから、そう思う、つまり、直かに経験されるところに従って思い描かれるイマージュを、率直に受け入れているのだ。

 身体は、はっきりした輪郭で、外界から区別されているが、例えば『私』の視力は星までもとどく。時間的にも、『私』は身体という物を食み出す。身体は現在のうちに在るものだ。なるほど、この現在の身体には、過去の印しが残ってはいるが、これは、過去の印しだと記憶に照らして認識する『私』という意識にとってしか過去の印しではない筈だ。

 つまり、『私』は、過去を保持しているという点で、現在のうちにしか無い身体を食み出している。『私』は、時間が繰り延べられるにつれて、過去を、自分のうちに巻き込み、この過去と協力して未来を創っている。

 自由に行為する事により、『私』自身も日に新たになるし、外部にも、全く新しい物を創り出している。『私』は、普通、魂とも心とも精神とも呼ばれている。

 ところが、驚くべき事だが、科学は、そういう常識の考えは、全く誤りである事を告げる。科学は、常識に向って、もっと綿密に観察せよ、と言う。君の言う精神は、身体なしには決して、その働きを君に見せない事は、君もよく知っているであろう。精神は身体に、君の誕生から死に至るまでつき纏(まと)うものだ。

 身体と、本当に違った精神というものがあると仮定したところが、身体と不離な現象しか起らぬのは確かであろう。クロロフィルムを吸い込めば、君の意識は消えるし、アルコールを飲めば、君の意識は高ぶる。

 わずかな中毒でも、君の意志力や知性をひどく乱すだろうし、中毒が継続すれば、君は発狂して了(しま)うだろう。発狂者の屍体(したい)解剖は、いつでもとは限らぬが、脳の損傷を、屢々(しばしば)明示するし、明示しない場合も、そこには、病気が惹起した組織の化学的変化がある事は、先ず疑いない。

 それのみではない。科学は、君が自由だというはっきりした精神の若干の能力が、脳回転のはっきりした位置に局所附けられている事も教えている。君が、精神の本質的機能と考えている記憶というものさえ、その各様の働きが、それぞれ脳回転と何処(どこ)に結ばれているかが、はっきりしている。

 例えば、言語の音は、文字の姿は、何処に記憶されているか、発音運動の座は脳の何処にあるか、みなはっきりしている。

 なるほど、君の視覚や聴覚は、身体の限界を越えて行くようだが、実は、光波も音波も、遠い彼方(かなた)からやって来て、君の眼や耳に達し、これが脳に伝えられて、其処で感覚に変ずるのであるから、君の知覚は、君の身体のうちにあるので、決して、これを食み出すものでない。

 君は、身体は絶えず繰返される現在を出られないが、精神は、これを抜け出し過去を抱いていると思っているが、身体が過去の痕跡(こんせき)を現在にも尚(なお)保存しているのでなければ、君に過去を喚び出す事は出来まい。

 対象によって作られた印象は、脳組織に言わば録音されて存してる。装置が動けば、録音盤は、いつでも音を繰返すように、印象の到来する場所に、必要な振動が生ずれば、脳が記憶を再生するのは見易い理である。

 脳を組織している分子或(あるい)は原子の移動や結合が、絶えず行われ、その或る動きが、感覚に、或る動きが記憶に翻訳されているのなら、君が感じ、意志する、君の凡ての知的事実が、この運動に照合している事は疑いない。

 意識とは、これらの運動に随伴する燐光(りんこう)のようなものに過ぎない。暗闇でマッチを壁に擦(こす)れば、マッチの動き通りに、壁に発光が描かれるようなものだ。

 内的視覚の錯覚が生ずるのも、言わば、この燐光体が、自分自身を照らし出すからであり、意識が、自分が、これらの運動の結果に過ぎぬのに係わらず、これらの運動を産み、修正もし、支配もすると思い込むのも、それ故である。自由意志の信仰もそこに生ずる。

 もし、私達が、脳組織の内部に入り込み、組織を構成しているアトムの運動を、或る観察装置によって観察出来るなら、又、一方、脳髄的なものと精神的なものとの照合表を、つまり、アトムの運動の形を思想や感情の言葉に翻訳する辞書が手に入れる事が出来たら、精神が考えるところ、感ずるところ、欲するところ、要するに機械的に行っていながら、自由に行っていると精神が思い込んでいるあらゆる事実を、精神が知るように知る事が出来る筈だ。いや、君の言う精神などというものよりもっとよく知るだろう。

 何故かと言うと、君の所謂(いわゆる)意識された精神とは、脳内部の運動の、ほんの僅(わず)かな部分を照らすのも、或る特定のアトムの運動の上に躍る火花に過ぎないが、科学の見るのは運動の全部である。君の意識と呼ぶものは、運動の若干の結果が見えたという一結果に過ぎないが、われわれには、原因も結果も、すべてわかる筈だ。

 これが科学の語るところだ。少くとも、科学の語る自信である。ところで、この自信の正しさを誰も証明したものはないのだし、私達の経験は、その正しさを暗示さえしていないのに、多くの科学者が、こういう自信を抱いているのは何故だろう。

 私達の経験は、確かに精神の生活と身体の生活との連帯性を語ってはいるが、それだからと言って、両者は等価物であるとか、両者は一致するとかと推論する何の理由もない。壁の釘(くぎ)に掛かった着物は、釘が抜ければ落ちる。両者の間には密接な関係があるだろう。だからと言って、釘と着物とは、あらゆる点で一致しているとか、更に着物は釘の機能であるとか、と常識は考えはしない。

 事実、科学が観察し証明し得たところは、脳と意識との間には或る関係が存するという事を出ないのである。而(しか)も、この事を証明する科学の方法は、脳髄的なものと精神的なものとの間に、あたかも完全な照応があるが如く見なした上での方法である。ここに甚(はなは)だ曖昧な点がある。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P66〜70)




◼︎小林秀雄氏

CD 小林秀雄講演 第三巻 より

「本居宣長」< 講義・質疑応答 >

/ 新潮社 写真:新潮社写真部



「常識」から導かれる

 ベルグソンの心身問題の解決法


「ベルグソンの見るところでは、心身平行の仮説が、世界の機械的構造への信仰とともに生れて以来、神聖なドグマとして生き続けて来られたのは、科学も哲学も、この仮説に反対する、或は矛盾するものは本能的に避けて来たという理由によるので、平行の原因とか意味とかは論じられて来たとしても、平行そのものが問題とされる事はなかった。

 ベルグソンは、この問題に、全く先入観なく直面しようとして、自ら常識人の考えから出直す事になった。そうしてみると、事は、言わば逆に見えて来たのである。

 常識は、精神的なものの実在も物質的なものの実在を少しも疑っていないばかりではなく、両者は、どうやら全く違った、それぞれが自足した、世界である事も感得している。それと言うのも、平常な意識経験には、外に向く面と内に向く面との二つの型があるからだ。

 一方では、互いにけじめの附いた雑多な物が空間的に拡がり、どうやら同じ物は、いつまでも同じ物だし、同じ事が繰返し起っているように思われる。そう経験している。

 他方、全く新しい未来を望み、二度と還らぬ過去を惜しみつつ生きていると言う経験は、はっきり捕捉し難いが、単一な持続としての自分というものの経験がある。一方の意識は、外界の事物を一つ一つ認識するのに正確に比例して現れ、外部化するのだが、一方の意識は、自己に還り、自らに集中し、自らを深化する。

 常識は、この基本的な二つの意識経験を反省し分析する事はしないが、両者を生活の絶対的な条件としている事は間違いはない。

 両者に基づいて何も世界を説明しようと望んでいるのではないのだから、相反する二つの原理を立てる事は、世界の合理的な説明の為に、甚だしく不都合であるなどとは無論考えはしまい。むしろ逆に、もし相反する二つの原理を許さなければ、行動というものが、わけのわからぬものになると言いたいだろう。

 この常識人の遠近法に従って物事を見れば、思想家達が、二元論を嫌うのは、世界観という智識の整備に心を奪われているという以外に理由がありそうもない。成るほど、そうして智識は整備されるが、基本的経験の事実はどうしようもなく、観念論と唯物論に別れ、自負した悟性が、互いに争うという事になる。

 心的なものと物的なものとを、同じ原理の二つの違った翻訳と考えようと、心の動きを脳の動きに随伴する現象と考えようと、そんな苦肉の策を弄(ろう)してまで、観念論者も唯物論者も、心身平行の仮説に固執しているのは、考えるより生きる方を、智識より経験の方を根柢的なものとしている常識には、殆(ほとん)ど理解し難い事である。

 私達は、世界という智識の中心に居るのではない。故意に作らなければ、誰にもそんな意識は持てない。私達は、世界の中にあって、肉体を備えた心として生きているから、めいめいが行動の中心としての意識を、誰も持っているのだ。

 この根柢的な意識の吟味を避けて通るような認識論を、ベルグソンは少しも信用しなかったし、認識論は、生命の理論と離す事が出来ぬという彼の確信も、この平凡な意識経験の綿密な吟味の必然の帰結であった。

 ベルグソンは、心身の関係という問題を全く独創的に解決したのだが、真に独創的な仕事が、常にそうである如く、独創たらんとする工夫は少しもなかった。

 ささやかな事実を検討する実証的な方法が、思い掛けぬ大きな形而上学(けいじじょうがく)的結果に到達したように見えるが、彼にしてみれば、ただ事実が指示するところに随(したが)って進んだのであり、行動の中心として世界の中に生きているという人間の意識事実に在る単なる測定を越えた具体性が指示するところに、飽くまで従おうとしたまでだ。行動という目的の為に、常識が避けている自己分析を、常識に回復しようとしたというよりほか他意はなかった。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P73〜75)


 大脳内の過程は

 知覚作用の一部に過ぎない


「机の上に本が在る、という極く当たり前な私の発言は、私が特に、本を手に取ろうと思っていなくても、私という何物かが眼前の本という何物かに働きかけているという、たしかな感じの表明であろう。この感じを取り去れば、この発言は忽(たちま)ち、その具体的な意味合を失うであろう。そこに注意を払えば、私は手を動かす前に既に行動を開始している、見るとは既に行動で在る、という考えに導かれるのに、何の無理もない筈である。

 ベルグソンにとって知覚を説明するとは、常識には自明な、或は常識が自明として放置する経験の、吟味なのであった。なるほど、本という対象が在り、これが発する光線を、網膜が受け、この刺戟は、大脳に伝わり、其処(そこ)で反転し、今度は筋肉は通信をうける、それは事実に相違ないのだが、これらは脈絡ある全体を形成し、単一な知覚活動として、私達に経験されているという生きた事実に眼を閉じるなら、これらの分析的事実は死ぬ他はない。

 ベルグソンが、知覚を、大脳内の或る過程の産物とする、当時の支配的な思想に、真っ向から反対したのも、それが、知覚に関する生きた経験を寸断して殺し、それにも気附かぬところに基づくと見たからだ。

 知覚経験に即して見れば、大脳内の或る過程とは、知覚作用のほんのささやかな一部に過ぎない。知覚を説明しようとして、特にこれを取り上げる事は、これを知覚作用全体と等価なものとする事だ。大脳も、外界の他の様々な物と同様に一つの物であるとは、常識には解り切った事だ。

 この場合、ベルグソンは、物であるという代りにイマージュであるという言葉を使うのだが、イマージュという言葉にこだわる事はない。私達が、日常会話で使っている物という言葉は、どのような物質理論からも、得られたものではない。

 そこで、様々な物の堆積のうちの一かけらに過ぎぬ大脳という物が、他の凡(すべ)ての物の知覚を生み出す、即ち部分が全体を発生させるとは訳のわからぬ考えだが、知覚は、私達の内部の知覚中枢の産物だという考えは、外界からの運動が、私達の肉体の一部で、突如として運動の表象と変ずるという魔法を信ずる事であるから、この信者にとっては、常識の言う不合理などは問題にはならない。(中略)

 何故、もっと経験に即した率直な考え方が出来ないのであろうか。机の上に本を見るという私の知覚経験は、対象を私は摑まえている、私は対象を、自分の内にではなく、対象のうちに知覚しているという信念と離す事は出来ない。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P78〜80)


 脳髄過程は

 記憶のささやかな部分


「ベルグソンの記憶理論は、知覚理論を貫いていた同じ考えによって貫かれている。既記の通り、彼の知覚の考察では、私が見るという事が問題ではなく、私が何を見ないかが問題であった。私のささやかな知覚から出発して、外物全体の知覚に達する道はない。知覚全体から出発して、私達は生活行為の要求に従って、経験を重ね、自己中心の知覚を形成するに至ったのである。

 記憶の場合も同じ事で、記憶の実在を許して、これを考察すると、記憶全体は与えられていて、これについての説明は無用とする事に他ならぬ。私達の過去全体は、権利上、存続しているが、事実上、私達の身体とともにある意識は、この全体のうち、行為に役立つものしか引き止めぬ組織をなしているから、説明を要するのは、知覚にあって、空間的な自己制限であったように、記憶の時間的な自己制限、即ち忘却である、という事になる。

 記憶理論に、知覚理論から継承されるもう一つの考えは、次のものだ。神経系は、刺戟の形で受け取られ、自由行動の形で伝達される運動の通路であって、表象を創り出す性質を、ここに求める事は不可能ならば、記憶を迎えても、この運動機構の性質は変る筈はなく、脳の実質に、記憶を作りだしたり、これを貯えたりする性質を考える事は不可能である。

 脳髄の過程は、記憶活動の、ほんのささやかな部分に関係して、これを規定するに過ぎず、そこに、記憶現象の起源を見るわけにはいかぬ。脳髄は、記憶の原因であるよりむしろ結果なのだ。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P93〜94)


 記憶は脳髄のうちに

 保存されてはいない


「脳髄のうちに記憶が保存されているという事は考える事が出来ない。失語症の研究が、これを実証した。では、何処に保存されているか。そういう質問は、言葉の戯れに過ぎない、とベルグソンは答える。

 記憶は品物ではない。入れ物を必要としないものが、入れ物が持てるわけはあるまい。強いて答えよと言われれば、ベルグソンは、純粋に比喩的な意味で、だが率直に答えるだけだ、記憶は精神の中にある、と。

 意識ほど、私達に直接な与件はないし、明らかな現実はない。そして、人間の精神とは意識自体であり、意識とは、何を置いても記憶を意味する。」(『小林秀雄全作品 別巻2

「感想」 P109)


 ベルグソンが考える「無意識」


「ただ、ベルグソンは、無意識という言葉を存在しない意識というよりも、実際に活動しない意識という意味に使う。心理生活で、何が在るとか、何が無いとかと言うのが、既に考えてみれば妙な言い方であって、意識を存在の同義語には使い難い。

 意識という言葉を現実の行動或は直接の効果の意味に制限して使えば、無意識な、つまり無力な心理状態というものは考え易い事になろう。

 ベルグソンの考えでは、一般に意識自体を誰がどう考えようと、身体の機能につながる人間の意識の役目はわれわれの実際の行動と選択とを司(つかさど)るにあるのだから、われわれが実際的な行動も選択もしないでいれば現れないという意味で、無意識の心理生活が在ると言うのである。

 心理学は、長い間、意識を精神状態の本質と考える事に慣れて来た。それが為に、精神状態が存在する事を止めなくては、意識的たる事を止める事が出来ぬという考えから逃れる事が難しいのである。又、意識を、本質的に知識の具と見る事に慣れているから、意識にとって、その手にある知識を意識の外に残して置く方が、何故、利益であるかが不可解にもなる。

 ベルグソンの分析は、あくまでも私達が行動する立場からなされている事を、ここでもう一ぺん、はっきり思い出して欲しい。生活常識にとって、意識とは、先ず何を置いても現在生きているという現実の体験の標識なのである。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」P110〜111)


「直接的な意識」から出発した

 ベルグソンの二元論哲学


「『物質と記憶』は、序文に言われているように、はっきりした二元論である。ベルグソンは、精神の実在と物質の実在とを肯定した上で、両者の関係を記憶現象の分析によって規定しようとしたものだからだ。

 だが、彼は、二元論を、哲学上の学説から借りて来たのではない。単に、尋常な生活人の直接的な意識から出発したのである。内に心が在り、外に物があり、外界を相手に、心の生活を営んでいるとは、私達の基本的な意識経験である。

 生活人は、二元論者ではない。だが、精神と物質との二重性は、自分は、世界の唯中に生きていると感得している生活常識そのものだろう。

 ベルグソンは、この具体的な、基本的な意識事実の指示するところに従おうと考えたまでだ。其処以外に確実な仕事の土台はないと考えたまでだ。」(『 小林秀雄全作品』 別巻2 P125)


 客観的世界の崩壊に直面

 近代物理学の現状


「近代物理学の成功は、物的世界が、デカルトの言う『図形と運動』で厳密に記述出来るという仮説の上に立っていた。或る孤立した系は、各瞬間に、三次元空間内に或る配置を持つ諸要素から成り、この配置の変化は、時間の総ての価について完全に確定されている。この自然現象の普遍的な確定性という信条の上に築かれていたが、物理学者は、この信条の崩壊するのを目の当たりに見たわけである。

 光を使用せず電子を測定する事は出来ないが、電子を見るとは、光の光子を電子に衝突させ、これによって電子の位置も運動量も変えて了う事に他ならない。物理学者が、否(いや)でも承認せざるを得なかった事は、対象をいよいよ間近に見れば、眼と対象との間に行われるエネルギー交換の作用が明るみに出て来るという事実であった。

 だが、これは考えてみれば、極めて当絶な事である。感覚を度外視して、いかなる観測も考えられないし、感覚は感覚器官なしに働きはしない。従って、観測の行われるところ、外界と観察者の身体との間の、エネルギーの交換は必至である。

 厳密に言えば、天空の星も、望遠鏡で覗(のぞ)かれればその運動を変ずる筈である。ただ、この変化が、極めて小さいという理由で、実際上無視されて来たに過ぎない。無視されて来たからこそ、外界は、観察者の感官なり実験装置なりとは独立の実在であるという信念は動かずいたのである。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P148〜149)


 心理的時間をしめ出す

 アインシュタインの時間


「そういう次第で、量子の力学は、自然の完全に客観的な記述は、科学者には許されていないという、以前の科学者が夢にも考えなかった考えに到達した。客観的実在とは、これを観測する観察者と相関関係にあるものであり、私達の観測の方法なり条件なりに無関係な独立した客観的実在とは、科学者にとっては無意味なものとなった。

 相対性理論でも、観測者の演ずる役割は甚だ重要なものとなっているが、その演じ方は、量子理論の場合とは、全く違うのであり、その点をここで注意しておくのがよいと思う。

 相対性理論は、物質世界に関する、ベルグソンが言う『ニュートン力学の前進が遂に到達した、デカルト的メカニズムの完全な証明』なのである。アインシュタインはデカルトの『後継者』なのだ。

 絶対時間とか絶対運動とかいう亡霊を、物理学から追い払って了ったという意味合から、たしかに相対性理論には違いないが、その目指したところが絶対的な、物的世界の構造の包括的・客観記述にあったという点を、はっきり摑んでいないと、相対性理論という言葉は、却(かえ)って疑わしい言葉になる。

 なるほど、この理論は、物理界に、全く革新的な考えを導入したが、私達とは無関係な、孤立した客観世界の実在を容認するという近代科学が護持して来た考えは、この理論のうちで少しも動揺していない。動揺していないのみならず、対象の客観性という観念は、アインシュタインによって、誰も考え及ばなかった高度まで、徹底的に推進されたと言える。

 勿論(もちろん)、推進は、哲学的反省によってなされたのではない。彼には、知覚と経験の間を合理的に整調する自然観測の深化があれば足りたのである。相対性理論がもたらした時空の観念の驚くべき変革も、彼の観測の客観性の徹底化の当然の帰結なのだ。

 カントは、科学の正当性を保証する為に、理性のクリティックを、理性の権限の確定を必要とすると考えた。その結果、科学の合理性は、観測対象の合理的な性質なり構造なりに決して由来するのではない、観測者の理性の先天的な形式に由来するという、全く独創的な見解に達した。

 アインシュタインは認識論など、少くとも仕事の動機のうちには少しも必要としなかったが、認識論的には、彼の独創性は、カントとは全く逆の方向に向っていた。カントによって、物自体には無関係という理由で、物自体から取上げられ、人間の側に委託された時間と空間とは、アインシュタインによって、言わば客観的実在のうちに奪回されたのである。この奪回の努力によって、時空は、全く非カント的な姿を現すに至った。

 相対性理論では、時空の測定に関する総てのものに、あらゆる座標系に在る観測者が、一度に承認し得る形が与えられている。そのように理論は整備されている。

 このような首尾一貫した理論構造は、観測者の自身の立場を念頭に入れて成り立つものではない。どの観測者も、自己を離れて事件自体のうちに言わば埋没している事が許されぬ限り成立するものではない。アインシュタインの考えによれば、例えば時間について言うなら、私達が直知する同時性というものは、私達の知覚だけに関係するもので、事件には無関係である。

 物理学者は、個人から独立した世界の諸事件を扱うのであるが、普通、人々は知覚上の同時性から、事件自体の同時性に平気で飛び移る。それで矛盾も感じないのは、光の伝播の驚くべき速度の為だ。同時性の概念が知覚から対象に移って了えば、そこから諸事件のうちに時間秩序が演繹されるに至る。この間の道は近く、それは殆ど本能的に行われる。

 だが、私達の意識のうちには、諸事件の同時性を結論する事を許す何物もない。そのように結論される同時的事件は、私達の精神の構造物、理論上の存在に過ぎぬ。

 例えば、マイケルソンの実験は、そういう自称の同時性が崩壊して了う事を教える。総ての事件の一貫した秩序を立てようと努める物理学者にとっては自称の同時的事件も、他の諸事件中の事件に過ぎず、何等(なんら)特権的な事件ではない。アインシュタインは、心理的な時間を物理的時間からきっぱりとしめ出す。」(『 小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」P153〜155)

「相対性理論は、既に書いた場の理論から出発したものだから、当然、空間という概念は、この理論で重大な意味を持つ。ベルグソンが、アインシュタインの天才は、デカルトの天才を継承したものとするのもその点にある。デカルトの自然観、物質観の基底をなしているものは、有名な延長の考えだ。万物の多様性は、限りなく延びる三次元の同質な連続的空間に還元される。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P156)


 経験を深化させれば

「実在」の内部に入り込める


「『実在が、経験のうちにしか与えられていないとは疑いようのない事だ。この経験が、もし物的対象に関するものなら、対象のヴィジョン、対象との接触、一般的に言えば外的知覚であるし、精神という対象に向かえば直観と呼んでいいだろう』(Introduction II)。

 これが、『物質と記憶』で語られた物質理論の基底である。物質の経験が知覚であり、精神の経験が直観である、という経験の証言を採って動かなければ、マテアリストにもスピリチュアリストにもなる必要はない。物質に意識事実を作る力を認める必要もなければ、知覚された物質の性質を、そのまま物質の真相と認めぬ理由もない。

 純粋知覚というものが、外的知覚という経験の必然的帰結として考えられる以上、物質と精神とを引裂く何物も考えられはしない。空間や言語が、両者の間を裂こうとしても、経験の何たるかを知った人には無駄である。

 純粋な知覚は、外界から成り、外界の一部を成すという特権によって、物質と精神とを密着させている。ベルグソンの物質理論が、内的な或は外的な、純粋経験の上に立っているとは、言わば物質精神連続体としての実在の上に立っているという事である。

 と言っても誤解してはならないが、この連続体は、経験のうちに現前しているのであって、例えば、科学者の所謂(いわゆる)四次元連続体という実在理解の形式ではない。人間と世界とによって、この連続体は充満し、どこにも透間なぞないと言うだけである。

 私達は、内に向かって、不可分の『持続(デュレ)』を捕えているとともに、外に向かって物体の支えを必要とせぬ『運動性(モビリテ)』を捕らえている。『固体性とか衝突とかいう考えは、生活上の要求や習慣から、その見掛けの明瞭性を借りて来たものであり、この種の像によって、物資の深所に、如何(いか)なる照明も当てる事は出来ない』。

 見掛けの明瞭性にごまかされてはならぬ、生活への自然な注意を、実在への不自然な注意に振向けるのが、どんな困難にあっても、哲学者は、それをやらねばならぬ。

 世界が私に現前するのは、概念の働きによるものではない。ただ知覚の活動によってである。この活動を範型として考える事が、世界のうちに生きている私達の現実状態に即して考える事だ。

 現に在る私達のこの状態から、私達を引離すには、概念活動という、行動の要請に応ずる道具が要る。もし観察という言葉を深く解するなら、観察者と観察の対象との間に一線を劃(かく)するのは人為的な事である。」(『 小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P165〜166)

「実在の変化は深みにある。実在の中に生きるとは、この変化が直接に経験されているという事に他ならず、経験の深みをさぐれば、私達は実在の内部に入り込める。誰にでも可能なな、名づけ難い質的変化の内観が、これを証している。

 この本源的経験の発展を辿る事が、ベルグソンにとっては、精神と物質との関係を、本質的な困難に出会わずに説明出来る唯一の道であった。この道を行く為に、緊張(tension)と弛緩(extension)という言葉が選ばれた。」(『小林秀雄全作品』 別巻2 『感想』 P177)




◼︎小林秀雄氏

CD 小林秀雄講演 第二巻 より

「信ずることと考えること」

   < 講義・質疑応答 >

   / 新潮社 写真:新潮社写真部



「精神の実在」と「物質の実在」

 両者を肯定する独自の「二元論」


「ベルグソンの世界像の描き方は、明らかに二元論的なのだが、それは、物質を空間的なものに、精神を空間外のものに考える普通の二元論を飽くまでも避けようとする二元論なのである。

 精神と物質とが異なるという発言は、経験から発するが、物質の変化を空間のうちに置き、延長を欠いた感覚を意識のうちに置くのは、空間的見地に立った人為的仮説であり、この巧まれた断絶から出発するから、両者の合一の偽装的説明に苦しむのである。

 この単純な事実が、先ず直観に与えられているとするところから見れば、彼の思想は一元論的なものとも言えるのだが、この直観された精神生理学的なエネルギーの力学を説明しようとすれば、必然的にはっきりした二元論になる。

 純粋記憶と純粋知覚とを両極とする生の機能、或は生きられる時間の運動になる。生きられる持続のリズムの緊張の程度如何(いかん)によって、精神と物質との間に、自由と必然との無数の段階が現れる。自由は必然の国の中にある独立国ではない。だが、それは両者の区別が曖昧だという意味にはならない。

 純粋知覚の作用は、その極限に於いて物質に触れ、これと部分的には一致するであろう。しかし、この接触は、記憶の協力により、物質の持続を縮約しなければ不可能である。どんな低度の精神も、生活体の基本的な法則に従って、動作に展開する、つまり物質を利用せんが為に動作によって自己を表現せんとする、その為に、物質の諸瞬間を収縮するという点で、精神は物質とは全く異なるのだ。

 だが、ベルグソンの思想が二元論であるとか、その方法が二元論的であるとかいう事は、かなり面倒な問題である。『物質と記憶』の序文の冒頭を引用してみよう。

『この本は、精神の実在と物質の実在とを肯定し、両者の関係を、記憶という明確な実例によって規定しようとした。故に、これは、はっきりした二元論である。しかし、一方、身体と精神とをどう見たか、その見方から言えば、二元論が常に惹起(じゃっき)している理論上の困難、二元論が直接な意識によって暗示され、常識によって採用されているにもかかわらず、哲学者の間で評判を悪くしている理論上の困難を、この本は、取除くとは言わないまでも、大いに軽減するという望みはあるわけだ。』

 この短い文章でも、注意して読めば、この『二元論である』という言葉には、複雑なニュアンスがある事がわかるだろう。何故なら、二元論の惹起している理論的困難を除かんとする二元論は定義し難いからである。

 恐らくベルグソンの真意は次のようになると言っていい。自分にとっては二元論とは言葉ではない。二元論で、実際に事が巧く運ぶのを見れば、二元論の惹起する理論的困難は、二元論という言葉に由来するに過ぎぬ事を、諸君は合点するであろう、と。

 ベルグソンが、精神の実在と物質の実在を肯定した上で仕事を始めたという意味は、直接的意識の暗示するところに率直従って、仕事を始めたという意味である、本当はただそれだけの意味である。だが、ただそれだけの意味だという事は、何と解らせにくい事か。

 常識は、直接的な意味の暗示に、遅疑なく従う。常識は反省を欠くからである。哲学的反省も亦(また)、この暗示に従わねばならぬとする考えが、どんなに革命的なものであるかを、ベルグソンはよく知っていた。

『意識の直接与件』が、意識にとって最も親しい、確実な、又理解しやすい筈のものであるにもかかわらず、私達は、何とこれから遠ざかり、これを解り難いものにして生きているか、これ説く為に、ベルグソンが要した努力を思えば、彼の言う二元論という言葉に含まれた一種苦いニュアンスを感ずる事が出来るであろう。

 実在は、直接的経験に、二つの面を見せている。一つの面では、事実は、空間的に展開され、繰返され、計量される形で与えられ、他の面では、持続のうちに相互に滲透(しんとう)している形で与えられている。

 これが物質と精神という言葉が生れて来た、引いては、科学と哲学という二つの認識の方法が生じた基本的な経験なのであり、ベルグソンは、仕事の土台としてこの他に何一つ必要とはしなかったのだが、大事な点は、彼の考えによれば(Ľintuition philosophique)、どちらの場合でも、経験とは意識を意味するという事である。

 ただ、意識の方向が両者は違う。一方は外に向い、外物を互に外的なものと見る、という事は、自分自身に対しても外的になっている意識である。他方は、内に向い、意識自体のうちに沈潜し、深化する。それなら、この深化の方向をどこまでも辿って行けば、物質も生命も、要するに実在一般は、いよいよ明らかになるか。恐らくなるだろう。

 もし、意識というものが、物質に偶然に附加されたものならば。だが、そんな馬鹿気た事は考えられぬ。又、もし、人間の意識が自然から引離されているものならば、何も彼も明らかになると言えるかも知れない。しかし、人間は、罰をくらった子供の様に、自然の一隅に立たされているのではない。そんな事は決してないのだ。

 世界に充満する物質と生命とは、私達の内部も充しているのである。凡(すべ)ての事物のうちに働いている諸力を、私達は、私達のうちに感じている。存在するもの、生成するものの内的本質が何であるにせよ、私達は、その中にいるのだ。 『私達の内部の深みに下りて行って見給え。接触するところが深ければ深いほど、私達を表面に突返す力も強くなるだろう。哲学的直観とは、この接触であり、哲学とは、この弾み(élan)である』と彼は言う。」(『 小林秀雄全作品』 別巻2 「感想」 P181〜184)

 

 ヘーゲルを読んでいない

 百年に一度の天才ベルグソン


 以下は、小林秀雄氏の講演本『小林秀雄 学生との対話』からの抜粋(ばっすい)です。

 これまで紹介してきました上記の「感想」と、内容的には、重複するところがあるかとは思いますが、同書は、あくまで小林秀雄氏の講演をもとに単行本化したものであり、講演ならでの、易(やさ)しく、平たい、言い回しになっています。

 ですから、小林秀雄氏の考え方やお人柄をよく知る上で、何かとお役に立つ面もあるかと思いますので、以下に記載させていただきます。

「僕がベルグソンを尊敬するのは、こんな面もあるからです。クローチェというイタリアの美学者、哲学者がいまして、この人がベルグソンの思い出を書いている。ある時、二人でヘーゲルの話をしていたら、ベルグソンがいかにも恥ずかしそうに、『実はクローチェ君、僕はね、ヘーゲルをまだ読んだことがないんだよ』、と言っていたそうだ。

 日本にはへーゲルを読んでいない哲学者もいるかもしれない。日本の哲学は妙に専門化しましたからね。けれど外国では、常識で考えて哲学者ともあろう者がヘーゲルを読んでいないなんて、こんな莫迦(ばか)げた、おかしなことはないんです。クローチェは大変驚いたが、ベルグソンは本当に読んでいなかった。

 というのは、あの人は自分に切実な問題だけを考え続けたからです。『物質と記憶』という本を書き上げるのに八年かかっています。八年かけて、ようやくあの薄い本を書き上げたのです。その長い間、あの人の心を占めていたものは、精神と肉体とはどういう関係があるのかということだけで、ほかのことなんか考えていやしないのです。

 その時の時流とか、その時の世論とかそんなもの、あの人の眼中にはなかった。ベルグソンにはそういう実に天才的なところがありまして、僕は非常に惹かれるのです。百年に一度という大人物だと思っています。」(『小林秀雄 学生との対話』 「現代思想について」

P63〜64)

 

 分析から直覚に行く道はない


「両方使えばいい。直覚も分析も使えばいいのです。ベルグソンの分析というのはきわめて鋭いですよ。あなたがお読みになっても、そう思うでしょ? 

 直覚したところを分析するんです。けれど、分析したところは直覚にはならない、とベルグソンは言っているだけです。逆は真ではないと言っているだけです。分析から直覚に行く道はない。でも、直覚から分析に行く道はあるんです。科学も実はそれをやっているのです。

 科学者の実際の仕事を見れば、僕らの知っている科学などというものは、これはもう子どもなんです。彼らの仕事そのものの中に入ってみますと、やはり立派な科学者は非常な直覚力を持っています。

 将棋だってそうでしょう? 僕らの指している将棋って、分析なんだよ。プロはパッと直覚するんです。木村義雄八段が書いていたけれど、プロは二時間も考えるでしょう? 

 あれは手を考えているのではないのです。パッと直覚した手が果たして正しいか、分析しているのです。それで二時間考えて、最初に直覚した手を指す。その時、三つの手があるとします。多分これがいいなと直覚するのですが、その三つをきちんと手を読んで分析しなければいけない。それに二時間かかるのです。

 そんなふうに直覚から分析に行く道はあるけれども、分析からは先がないとベルグソンは言っているだけで、分析を決して軽蔑しているわけではない。分析がなければ、科学なんてありません。哲学もありません。というのは、概念というものに頼らずには、人間は論理的に話すことができないんです。ただ、直覚というものがなければ分析は始まらないとベルグソンは言っただけなんです。

 それをどうかして、分析したものから直覚したものに達しようと無理をするから、心理学でも心理分析というものをやる。そうした分析から、いろんなエレメントができる。そのエレメントを集めれば、直覚した生きた真理が出来上がると信じてはいけない。それは科学の自信過剰である。

 時間が過去から未来に流れるように、直覚から分析に流れる方向があって、その逆の方向をたどろうとしても、人間にはできないのだ。そいうことを言ったのです。

 無論、精神科学というものは大変若いんです。このあいだ始まったばかりだ。たとえばニュートンだとかガリレオなんて人が精神科学を始めていたとしたら、どんなに今の精神科学が変わっていたかもしれない。でも彼らはみんな物質科学から始めたんです。物質の科学が始まって、生物学が出てきて、生理学が出てきて、化学が出てきて、だんだん発達して心理学に行ったんです。

 心理学まで行き着いて見ると、いろいろの手続きの誤りがあらわになってきた。だから、心理学はこれからもっと独創的なメソードを発見するでしょう。その一つがフロイトだよね。でも、あれで終わるんじゃないのです。これからです。つまり、真に人間的な思想というようなものを作るのは、諸君の双肩にあるわけだよ。

 科学と哲学は二つに分けられるが、ベルグソンはああいうことにも反対なんです。学問は一つでいいのです。こっちの対象に使って成功する方法を別の対象に使うのはいけない、と言っているだけです。つまり物質的な対象に向かって学問した方法を、人間の感情とか意識とか自由とか、そういう問題に応用したところで成果は得られない、得ようとすれば人為的なごまかしが入ってくると言っているのだ。

 別の対象を扱う場合は、方法を変えなくてはいけない。精神的な対象に向かっては、まず直覚的な方法を取りながら、徐々に近づいていけ。一挙に物を片付けることはできないかもしれないけども、学問を少しずつ進めていけば、方法さえ正しければ、やがて達成できるであろうと言うのです。

 ベルグソンは科学を一つも否定していませんよ。科学が物質的に向かった場合は、確かに実在をつかむのです。科学はカントが言ったように、決して相対的な知識ではない。あれは絶対的な知識なのです。ただ、それは対象が物質の場合だよ。そういう時、なぜ科学は自由意志の問題というものを取り除くのです? これは独断です。

 エネルギー保存の法則というのがある。これは、エネルギーが保存される法則が成り立つ対象においてのみ成り立ちますね。精神の世界で、特に自由の世界で、エネルギーを保存しますか。そんなことはしない。すると科学は自由の否定まで必ず行くのです。

 しかしそれは僕らの持って生まれた常識と経験に反するじゃないか。それなら、僕らの常識と経験に沿った学問が始まらないといけない、ベルグソンはそう言ったのです。」(『小林秀雄 学生との対話』 「現代思想について」 P80〜83)


 一流の学者ほど

 自分の方法の虜(とりこ)に


「ベルグソンはその講演で、こういう説明をしています。一流の学者ほど自分の方法というものを固く信じている。それで、知らず知らずのうちに、その方法の中に入って、その方法のとりこになっているものだ。だから、具体的ないろいろの現象の具体性というものに目をつぶってしまう。」(『小林秀雄 学生との対話』 「信ずることと知ること」  P33) 


 心と肉体の問題

 一番深刻に扱ったベルグソン


 以下は、小林秀雄氏のCD化された講演録から、私が、直接、原稿を起こしたものです。

 ここでも、内容的な重複はありますが、より“ 生 ” な小林秀雄氏の声が届けられると思いますので、記載させていただきます。

 ちなみに、私の別のブログの記事「小林秀雄氏の『科学論』」でも、お断りしたことですが、同じお断りを、ここでもさせていただきます。

 できるだけ忠実に再現したつもりですが、なにぶん講演です。多少の言い回しや発言の重複などは、私のほうで読みやすいように、いくらか訂正させていただきました。聞き逃し、記載もれをしてしまったような箇所も、あるいは、あるかもしれません。その点は、なにとぞ、ご容赦ください。 

 なお、小林秀雄氏の講演の中には、現在、社会的には容認されない言葉づかいもありますが、当時の社会では、それは容認されていました。ですけれども、今の社会状況に照らすと、それは容認されていません。

 その点を考慮し、CDから私が直接原稿起こしした小林秀雄氏の講演の言葉づかいは、いくらか変更してあります。その点を、あらかじめ、お断りしておきます。

 「私はこの頃、ベルグソンをまた熟読、含味(がんみ)しているんです。これは若い頃から読んできた本ですが、私にいろんなことを教えてくれた思想家ですが。この人が、人間の心の問題と肉体の問題を、近代の思想家では、一番深刻に扱った人です。こういう本が、あんまり読まれないので残念なんですが。

 この人に、『物質と記憶』という本があるんです。これは、諸君もいっぺんお読みになるといいと思って、お勧(すす)めしますがね。100円出せば、岩波文庫で買える本です。薄っぺらい本ですが、大変むずかしい本ですが。これは、むずかしいのは仕方がない。こういう、まあ偉い人が、何年も考え考えて書いた本が、そう易しいわけはないんでね。

 むずかしいということも、私らが書いたものでも、人は『むずかしい、むずかしい』って、私はよくいわれます。いわれると、私は少し腹が立ちますがね。むろん私も若い頃は、これは虚栄心が強いですから、どうしても若い頃は虚栄心がありますから、わざわざ易しく書けるところを、ちょっとむずかしく書いてみたりしてね。生意気なこともやりました。

 そういうことは、ある時期が過ぎればもうなくなることで、今は僕は易しく書けることは、書いてますよ。しかし、易しく書けないことがありますからね。これは、私のせいじゃないんで、これは、そういう問題が実在するというなんです。世の中には。

 もしも、世の中が易しくって、私がむずかしいことを書いていれば、これは私が悪いです。だけど、そうじゃないんです。どんな頭の立派な人にも、実在のほうがむずかしいんです。人生のほうが、むずかしいんです。

 だから、重要な問題っていうものは、いつでもむずかしいんです。今のね、人間の心と人間の肉体っていうものの関係なんていう問題だって、大変、むずかしい問題です。この関係はあるんですよ。実在するんです。だけど、それはどういう関係だっていうようなことは、大変、むずかしい問題です。

 だから、ベルグソンのその本でも、大変、むずかしい本になっているんだ。内容については、諸君がそれを自分で読んで、一度読んだって、どうせわかりゃしないから、三度も四度も読んでわかればいいんで、僕はその内容をお話しすることはできないけどもね。

 まあ、それは、むずかしい本だから、ベルグソンはそれについて、いろんな、俺はこういうことがいいたかったんだ、ああいうことがいいたかったんだということを、あとから、いろいろな講演や、いろんなもので書いております。そのお話を一つします。」(CD「小林秀雄講演」 第四巻 「現代思想について 〜精神と肉体の関係」)

 科学が実証しえていない心身問題


「心とね、肉体っていうようなこと、そういうことについて、常識ってものは、一体、どういうふうにまず考えてます? 諸君、常識でそれを判断すると。

 諸君は肉体を持っている。まあ、肉体です。僕ってのは、まず非常に簡単に考えると、僕の肉体です。たとえば、私の見る力、視力はそういう僕の肉体を超えますね。というのは、僕の肉体は、これだけの場所を占めているにすぎないけども、僕の目は諸君まで届くね。星まで届くだろう。

 そうすると、僕の視力というものは、僕の肉体を超えていますな。空間的にも。そう、諸君の常識は考えるだろう。この肉体という物体は、空間の一部に、これだけ制限されて実在するけども、僕の視力は、この肉体を超えて、星まで届くじゃないか。空間的に、僕の肉体を超えるでしょう。

 じゃあ、時間的にはどうだろうか? 時間的に、僕たちは、僕は、私は、この肉体を超えているか、と。やっぱり、超えていますね。なぜかっていうと、僕の肉体は、確かに存在するだろう。ここに存在するんです。現在、ここに存在するんです。

 だけども、僕には僕の記憶があるじゃないか。私は、記憶ってものを持っている。記憶ってものは、存在しないです。それは、もう、過ぎた過去です。過去ってものは、存在しないもんですね。そうでしょう。

 そんなら僕の肉体ってのは、現在、あるだけでしょう。現在、ここにあるだけでしょう。僕の肉体には、過去なんかありゃしませんよ。だけど、僕の顔にはシワがよってる。このシワは、過去を表しています。僕の。僕の五十何年の歴史を表しています。

 だけど、表してるってことを知るのは、僕の意識でしょう。シワがあるのは、現在あることじゃありませんか。だけど、このシワは、過去を表していると知るのは、僕の意識でしょう。僕の心でしょう。そうでしょう。

 そんなら記憶なんものは、現在の肉体にはないじゃありませんか。記憶ってものは、みんな、過去の記憶でしょう。過去ってものは、ないものです。今、ないものです。

 そんなら時間的にも、僕の精神は僕の肉体を超えているじゃないですか。こういうふうに、常識は考えますね。そうでしょう。諸君も一緒に考えてくれよ。僕の話なんか、聞いてないで。そうじゃないか。

 過去は存在しないでしょう。存在するものは、みんな、現在、あるものでしょう。だけど、僕は過去の記憶を持っているじゃないか。そうだろう。それは、僕の心の問題じゃないか。過去だと思うだけじゃないですか。記憶によって。

 だから、僕の心は、僕の肉体を時間的にも超えているじゃないですか。それで、僕は過去に相談して、僕の記憶に相談して、毎日毎日、新しいものをつくっているじゃありませんか。僕自身も、変わるじゃないですか。そういうふうに考えますな、僕たちは、みんな。

 ところが、科学はそう考えませんね。諸君、科学者になったつもりで、今度は考えてごらんなさい。ちっとも超えてないんです。科学的に考えれば。

 そりゃあ、常識はそんなふうに考えるけれど、それは物を観察しないからだ。もう少しよく観察してみろ、と。君の目は星まで届くという。君の肉体はたったここにいる物体だけど、君の視力は肉体を超えて星まで届くというけれど、そりゃあそうじゃない。星から光が来るんじゃないか、と。科学はそういいます。

 君が超えるんじゃない。星から光が僕の目に届くんです。その目に届いた光はどうなります? これは脳中枢に伝わります。そこで意識が生じます。だから僕の星の知覚というのは、僕の中で知覚するんです。そうでしょう。科学はそう教えます。

 音だって、そうです。僕は遠いところの音まで聞けるじゃないか、と。そうじゃない。音は向こうから来るんです。音波というものがあります。それが伝わって来て、僕の耳に達するんでしょう。この印象が脳に伝わるでしょう。そこに意識が生じる。だから、音は僕の内部で聞いているんです。僕は肉体の内部で聞いているんです。

 だから、君の視覚も聴覚も、みんな君の肉体を超えると君はいっているけど、もっとよく考えれば、ちっともそうじゃない、と。ちっとも君の肉体を超えてやしないじゃないか、と。科学は、そういいます。

 そうすると、そういうふうな科学の考え方の大もとには、どういう考えがあるかというと、科学者は現代の科学というものは、人間の心の現象と、それから肉体的な現象は、平行しているという考えです。あらゆるところで、関係があるんです。

 だから、これは平行していると仮定するんです。今の科学ではできないけども、もしも将来の科学が人間の脳組織の中に入って、人間の脳組織のいろんな運動を綿密に調べることができたならば、僕が何を考え、何を感じ、ということはみんなわかるはずだ、という確信があります。

 つまり、心の現象と脳の現象は完全に一致しているんです。完全に照合しているんです。平行した現象なんです。だから、片っぽうがわかれば、必ず、それに随伴したところの心理の現象はわかるはずなんです。

 だから、脳という物質の性質が本当に明瞭になれば、明らかになればですよ、この心理活動というものも明瞭になるはずなんです。だから、僕が自由意志でもって、ものをやってると錯覚していることも、これも脳髄の組織がまだ明らかにならないから、まだそういう錯覚をしているんで、脳組織の運動というものが科学的に明瞭化するならば、僕からはそういう錯覚は、おそらく消えるであろう、と。僕の自由意志の運動も、まったくメカニックな運動に過ぎないということがわかるであろうという確信です。

 こういう仮定がなければ、科学はないんです。少なくとも、心と肉体との間に、こういう仮説を立てなければ、科学は何事もできないんです。だけど、この仮説というものは何だというと、この仮説は何か経験的事実にもとづいた仮説ではないんです。これは、ただそうであろう、というんです。そうであろうと仮定して、仕事を進めるのが都合がいい、ということに過ぎません。そうでしょう。

 ベルグソンは、こういう比喩を使っている。壁に釘が打ってあって、そこに外套が掛けて

ある。壁の釘と外套との間には、関係があるんです。なぜかというと、釘を抜けば、外套は落っこちちゃう。だから確かに、釘と外套の間にはなんか関係があります。これは、確かなんです。

 だからといって、釘と外套は平行しているか。釘と外套は一致するか、と。釘のあらゆる部分が、外套のあらゆる部分に照合しているか、と。釘は外套の機能であるか。そうは結論することはできない。それと、おんなじだというんです。

 肉体と精神の間には関係があります。酒を飲めば、酔っぱらう。確かに関係があるんです。離すことはできない関係があるんです。確かに、肉体がなくなれば精神はなくなる。精神の働きはなくなります。そういうふうに密接な関係があるけども、僕の精神のあらゆる点が、僕の肉体のあらゆる点に照合している、平行している、一致している、という結論は出ないでしょう。その結論は、独断でしょう。

 調べて出した結論なら了承する、と。だけど、なんにも調べる手立てもないじゃないか、と。誰も実験もしないじゃないか。ただ、そうであろう、という自信があるだけではないか。じゃあなぜ、君は、肉体と精神がまったくパラレルなものである、平行したものだ、と仮定して仕事を進めているのか、と。

 科学者は、それは哲学の問題だと。そういいます。哲学の問題なんか、俺が関係したことじゃないんだ、と。ただ、私は、科学者の仕事というものは、肉体と精神が絶対に平行した現象であると仮定しなければ、仕事が進まないから、そうしているんだ、と。何も僕は、肉体と精神は絶対に一致したものだなんて主張したことはないよ、と。科学者は、そういうんです。

 第一、そんな問題は、みんな言葉の問題じゃないか。そんなことは、実験してどうっていう問題じゃない。ただの言葉の問題、つまり、哲学の問題だ、と。私には哲学は関係がない、と。

 私には方法というものがあるんだ。実際、事実を観察し、これを実験し、これを測定する、と。そういう科学のメソードがある。そのメソードを行う上においてだね、一時的に、精神と肉体というものが絶対に一致するものと、厳密に平行した現象であると、仮にですよ、仮に仮定しなければ、科学のメソードってものは、どうにもならんじゃないか、と。しかも、この科学のメソードってものに、どこに制限を付けるんだ、権利があるんだ、と。

 どこまでも進歩するものだ、と。科学のメソードに制限を付する、なんの理由もないならば、このメソードはどこまでも発展する、無制限に発展すると考えて、少しも差し支えないではないか。

 僕は、それがどこへ行くか、それは知らん。知らんけども、科学は言葉は信じないんだ、と。事実を信じるんだ、と。観察を信じるんだ、と。それで、僕たちのやってく仕事に、諸君は文句は付けられまい、と。こういうんですよ。

 いかにも、もっともらしいね。じゃあ、君のやってるそのメソードってなものはどうなんだ、と。このメソードってのは、どういう根拠に立ったメソードなんだ、と。そりゃあ、科学は考えません。肉体と精神は完全に一致したものだ、と仮定しているに過ぎないといいながらだよ、そのメソードそのものを反省はしていない。だから、科学というものの性格をもっとよく考えなきゃならんのです。(CD「小林秀雄講演」 第四巻 「現代思想について 〜精神と肉体の関係」)


 失語症の研究から

「脳」と「意識」の二元論を


「ご承知のように、近代の科学というものはね、だいたい天文学から始まったんです。ガリレオ、ケプレルから始まったんです。ああいう人が、つまり、ああいう天文現象とかね、結局、力学の問題に帰着するという、道を切り開いたことから始まるんでしょう。近代科学ってものは。

 だから、近代科学の目的は、物を計るということでしょう。測定する、ということです。測定ってものが、近代科学の目的です。これが、非常に大事なことなんです。

 測定できない事実なんかは、科学はなんとも思ってないんです。そんなものは。だけど、測定できない事実ってあるでしょう。常識で考えれば。

 例えば、精神の事実がそうです。自由っていうのは、精神的事実です。厳然たる僕らの。自由という精神的事実は、測定を拒んでいるだろう。測定されたくない、といってるんです。測定されるってのは、自由じゃないですもんね。自由と測定ってのは、矛盾した概念です。

 でも、科学はそうじゃないんです。その測定を拒んでいる事実を、測定できる事実に置きかえてしまいます。一般に、精神的事実というものは、非常に測定がむずかしいものです。測定を拒んでいる、と見えるくらい測定が難しいもんです。

 だから、科学者は、その精神的事実を物質的事実に置きかえます。つまり、精神的事実を脳髄的事実に置きかえます。置きかえてから、今度は、両方に平行が存するという仮説の下に、置きかえたことを忘れてしまいます。そうでしょう。

 じゃあ、置きかえることは、独断ではないかということは、科学は反省しません。それは科学ではないです。これは哲学です。哲学は要らない、というんです。だけど、哲学が要らないってことは、一つの哲学です。哲学が要るか、要らないかは、これは、哲学の問題です。そうでしょう。

 だから、哲学を全然無視するってことは、独断でしょう。どうして、そこまで考えないか、と。だから、近代の科学は、経験科学とみんないうけれど、本当は経験科学というよりも、測定科学なんです。

 それでね、ベルグソンは何をやったかといいますと、心ってものと肉体ってものが、いや肉体ってものじゃない、脳髄が、脳が、どんなふうな関係にあると考えたほうが正しいのか、観察によって決めようとしたんです。実験、観察、経験によって決めようとしたんです。

 それで、問題をだんだん絞っていきましてね。人間の言語の機能、言語の記憶ということ、そういうものを、ずっと研究していったのです。それで、失語症の研究をずっとやたんです。

 なぜ、そういうふうなことをしたかというと、精神というものをだんだんと、まあ精神の現象といったって、いろんな現象がありましょう。非常に複雑な哲学なんてものだって、倫理学とか、社会学、そんなふうなものだって。

 あるけれど、精神をだんだんだんだん単純にしていきますと、ただ、僕が自分の言葉を記憶している、と。これも精神現象ですね。言葉の記憶っていう、非常に単純な精神現象まで絞(しぼ)ることはできるでしょう。

 だから、片っぽうで、精神の現象をできるだけ単純にしてみた。つまり、言葉の記憶。言葉でも、意味なんかよして、言葉の音の記憶、発音の記憶、そういうふうに非常に簡単なものにしてみたんです。

 で、片っぽうは、記憶の、脳髄のある場所ってのは、解剖学的に決まっていますから、だんだん脳髄の構造から、記憶の局所ってものを絞っていきまして、その局所の病気ってものを研究した。

 脳髄の局所が、どういう損傷を受けた場合に、人間の記憶の喚起っていうか、その記憶を現実に呼び出すという作用が、どんなふうな影響を受けるかってことを、長い間、研究したんです。研究の結果ですよ、結果だけをいうとだね、どうしても脳髄の作用と、記憶の作用との間には、厳密な関係が成り立たんということを証明したんです。平行現象がない、ということを証明したんです。

 これは、非常に重大なことなんでありまして。こういうふうな証明から、ベルグソンは自分の哲学をつくりましたけども、こういうふうな証明は、非常に大事な、ということは、そこから、いろんなことが、いろんな可能性が発達しうるんですね。うるんですよ。

 しかし、まあ、こういうふうな本が、大事な仕事が、すぐ読まれなくなってしまうということは、はなはだ残念なことです。」(CD「小林秀雄講演」 第四巻 「現代思想について 〜精神と肉体の関係」)


 ベルグソンとフロイト

 「無意識」の心理学


 「ベルグソンが本を書いたちょうどその頃です。フロイトが『夢判断』を書いたのは。『夢判断」という本、ちょうどベルグソンが日本で流行って、原書を全然読まないで、ベルグソンってな人は、こんなことをいった人だというだけで流行ってしまったように。フロイトもそうです。『夢判断』なんて、読んでいる人もおそらくないでしょう。だけど、フロイトという人は、こんなことを考えた人だなんてことは、みんな知ってるんですねえ。こういうことは、本当に悪いことなんです。

 『夢判断」を読めばいいんですよ。そんな大きな本じゃないんですから。諸君も買って読めばいい。思想界には、古典的名著というものがありまして、そういう古典的名著は古くなるという性質のものじゃないんです。徹底したものがあるんです、そこには。

 僕はそう思ってます。近代の思想界で一番重要な本は、あの二つの本だと思っています。その二つの本を自分で読まなきゃいかんのです。

 フロイトって人は何をやったかというとだね。これは、根本的な重要なことが忘れられているんです。ベルグソンでも、そうでしょう。心身の間には、絶対にパラレルな現象なんかないってことを証明したんです。証明したあと、諸君が何を考えようといいですよ。いいけども、その証明は動かすことはできないんです。これは、何も彼が勝手な感想を述べたんじゃないですからね。これは、大変、重大なことなんです。

 そんなら諸君は、物質をもとに精神を考える、そんな間違った、科学的に間違ったことですよ、科学的に間違った考えをすっぱり捨てればいいんですよ。だけど、諸君にはそんな考えがつきまとっている。みんな、つきまとっています。現代のインテリには、みんな、つきまとっています。そんな重要性を考えた偉い人があった。その人が、むずかしい問題に、むずかしい解答を与えたってことを知らなきゃいかんのですよ。

 フロイトは『夢判断』で何をしたかというと、フロイトは心身の平行という哲学的問題にはぶつからなかった。あの人のメソードには、全然、物的なものはありませんよ。あの人は質問するんです。それが、あの人が発明した無意識心理学の方法でしょう。あの人の発明した方法は、全然、科学的ではありませんよ。

 患者に、いろんな暗示を与えるんです。暗示を与えるのは、みんな、言葉です。患者に暗示を与えて、昔を思い出させてみると、ある精神病の原因は観念だということがわかったんでしょ。

 ある精神現象の、精神的病気の原因は、けっして肉体にはなかったんです。生理的原因なんて、いくら探したってないんです。そんなものは。精神には、精神的な原因をもって起こる病気があると仮定して、あの人は仕事を進めたんです。

 ベルグソンは、今の新しい心理学、無意識の心理学に大きな道を開いた人です。あの人は、無意識の心理学ってなものをやりませんでしたけどね。あの人は、非常に意識というものを大事にして、無意識より意識のほうが複雑だって立場に立ちましたからね。そっちのほうには入っていきませんでしたけど。フロイトはベルグソンをよく読んでいたし、これからの心理学は無意識心理学になるだろうと予言もしているんです。

 だから、そういうふうに、思想界には里程標になるような、意味が非常に重要な思想家が現れるんです。そういう思想家をつかまえなきゃいけないんです。そういう思想家を読まないといけないんです。」(CD「小林秀雄講演」 第四巻 「現代思想について 〜精神と肉体の関係」)



◼︎小林秀雄氏

『小林秀雄 学生との対話』より

国民文化研究会・新潮社編

/ 新潮社 写真:新潮社写真部

2014年初版発行



 心眼を生む「イマジネーション」


 最後に、ご参考までに、再び、講演本『小林秀雄 学生との対話』からの引用をさせていただいて、この記事の終わりとさせていただきたいと思います。「想像力」や「歴史」ということについて、小林秀雄氏は触れておられます。

 これは、小林秀雄氏の晩年の大著『本居宣長』へと通じるお話です。

「イマジネーションというのは困った言葉だが、今言っているのはカントが言った先験的イマジネーションのことです。このイマジネーションがないと、人間は本当には認識などできない。諸君はただ視覚で物を見ると思っているが、実は同時にイマジネーションで物の裏側まで見ているのです。

 こういうイマジネーションは、人間にとって非常に必要で、理性よりももっと大きいものです。歴史を知るにはイマジネーションが必要なんだ。歴史は、今はもう目の前にないものだから、諸君がイマジネーションによって呼び起こさなくてはならない。君のイマジネーションが働けば、今ここにない歴史がちゃんと見えてくる。

 そんな不思議な働きをする心を、みんな抱いているんだ。だから僕は、諸君の中に全歴史がある、と言うのです。諸君は自分の心の中に、諸君のイマジネーションによって日本の歴史をいきいきと呼び起こすことができる。諸君はそれを見ることができる。

 心の眼によってね。日本語には<心眼>という面白い言葉があるじゃないか。歴史は、諸君の肉眼なんかで見えるものじゃない。心眼で見るんだよ。生物学がいう目の構造など、非常に抽象的なものです。

 ベルグソンは、人間は眼があるから見えるのではない。眼があるにもかかわらず見えているのだと言っているよ。僕の肉眼は、僕の心眼の邪魔をしているんだ。そして、心眼が優れている人は、物の裏側まで見えるんだ。

 生理学では眼の構造がどうの、水晶体がどうの、網膜がどうのと絵に描いて見せるけれども、心眼がどうなっているかは絵に描けないでしょう?

 しかし事実、本当に生きた眼というのは、肉眼の中に心眼が宿っているんです。心眼がなければ、僕のこの水晶体はうまく働きませんよ。」(『小林秀雄 学生との対話』 「信ずることと考えること」 P129〜130)


 充実した心の働き

 「想像力」とは何か?


「想像力という言葉を、よく考えてください。想像力、イマジネーションというのは、空想力、ファンタジーとはまるで違う。でたらめなことを空想するのが空想力だね。

 だが、想像力には、必ず理性というものがありますよ。想像力の中には理性も感情も直感もみんな働いている。そういう充実した心の動きを想像力というのだな。(中略)

 現代は、物質的な進歩は確かにたいへんなもので、それに僕らはつい目を奪われるから、人間はどんどん変わっているように思ってしまう。これは、人間の精神を実は蔑(ないがし)ろにしていることです。人間の変わらないところ、変わらない精神を発見するのには、昔のものを虚心坦懐に読めばいいのです。

  『万葉集』を読めば、あの美しさは僕たちのどこかに響いてきますよ。何も教えられなくても、ただ読んでいるだけで、響いてくる力があります。

 なぜ、響いてくるのかと言えば、あの『万葉』の心ばえというものが僕たちの中に今も生きているからだ。僕たちの精神の構造が、僕たちの心が、彼らと違わないからですよ。想像力さえあれば、いつでも彼らの心に触れることができる。(中略)

 想像力だってピンからキリまであるから、努力次第ですよ。精神だって、肉体と同じで、鍛えなければ駄目です。使ってないと、発達などしません。想像力も自分で意識して磨いていけばどんどん発達するものです。」(『小林秀雄 学生との対話』 「感想ー本居宣長をめぐってー」 P143〜144)


「天才」に臆してはいけない

 各自の感受性を育てるべき


「やっぱり天才というものはあるのですよ。僕らは天才じゃないから、天才のものを読みますと、自分がたいへん情けなく思えるのです。『僕は感受性を持っていないのではあるまいか』などと考えてはいけない。そうではないのです。そんな考えは感受性を隠します。わざわざよけいなことを諸君は考える必要はないのです。」(『小林秀雄 学生との対話』 「信ずることと考えること」 P131)


 クローチェの

「どんな歴史でも現代史なのだ」


「現代の歴史家で、この点を一番徹底させているのはクローチェです。クローチェは『どんな歴史でも現代史なのだ』と言っている。現代の人がある史料を通じて過去に生きることができるなら、その人は歴史家と呼べるのです。それに比べて、考古学的歴史というのは、実にみんな空虚なものだ。まあ、みんな空虚とは言わないまでも、一種の学問に過ぎない。」

(『小林秀雄 学生との対話』 「信ずることと考えること」 P127〜128)


 歴史を知ることは

 自分を知ることである


「歴史を知るというのは、みな現在のことです。現在の諸君のことです。古いものは全く実在しえないのですから。諸君はそれを思い出さなければならない。思い出せば諸君の心の中にそれが蘇って来る。不思議なことだが、それは現在の諸君の心の状態でしょう。だから、歴史をやるのはみんな諸君の今の心の働きなのです。こんな簡単なことを、今の歴史家はみんな忘れているのです。

 『歴史はすべて現代史である』とクローチェが言ったのは本当のことなのです。なぜなら、諸君の現在の心の中に生きなければ歴史ではないからです。それは史料の中にあるのではない。諸君の心の中にあるのだから、歴史をよく知るという事は、諸君が自分自身をよく知るということと全く同じことなのです。」(『小林秀雄 学生との対話』「文学の雑感」P25 )

 

 言葉のないところに歴史はない


「歴史は決して出来事の連続ではありません。出来事を調べるのは科学です。けれども、歴史は人間が出来事をどういう風に経験したか、その出来事にどのような意味あいを認めてきたかという、人間の精神なり、思想を扱うのです。歴史過程はいつでも精神の過程です。だから、言葉とつながっているのです。言葉のないところに歴史はないのです。それを徹底して考えたのが宣長です。」(『小林秀雄 学生との対話』 「文学の雑感」 P26)




※なお、この講演録は後に、「信ずることと考えること」から「信ずることと知ること」へと変更されました。











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